経済・政治・国際

2009年6月23日 (火)

地域への影響が懸念される2013年問題とは?書籍「映画にしくまれたカミの見えざる手 ニッポンの未来ぢから」

映画にしくまれたカミの見えざる手―ニッポンの未来ぢから (講談社プラスアルファ新書) Book 映画にしくまれたカミの見えざる手―ニッポンの未来ぢから (講談社プラスアルファ新書)

著者:谷國 大輔
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

6月20日に、書籍「映画にしくまれたカミの見えざる手 ニッポンの未来ぢから」が発売された。

ISBN978-4-06-272581-1

ロケで繁盛するお店のしくみ

ロケ地を決める口コミとは?

ロケ誘致の経済効果

売れ残り不動産が完売の仕掛け

映画で地域を元気にする方法

地域への影響が懸念される2013年問題とは?

地域振興に関わる話題が満載の本。

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2009年5月29日 (金)

2009年6月28日(日)、早稲田大学まちづくりシンポジウム2009 「まちづくり市民事業が拓く世界」

第17回 早稲田大学まちづくりシンポジウム2009
「まちづくり市民事業が拓く世界」
第15回 早稲田メイヤーズ会議

■日時:2009年6月28日(日曜日)9時半開始
■場所:早稲田大学国際会議場(〒169-0051 東京都新宿
区西早稲田1-20-14)

■関連出版
季刊まちづくり2009年1月号(学芸出版社)
特集「中心市街地再生とまちづくり市民事業」

■主旨
行政と民間の間に様々な中間セクター、市民セクター、社会的企業が生まれ、これらが福祉や都市再
生、地球環境問題等の新たな課題解決のメインプレイヤーとなろうとしている。このような多様な主体によ
る事業を「まちづくり市民事業」ととらえ、その集積と連携が拓く社会の姿と、そこに至る道筋、方法を明
らかにする。

■プログラム
9:00 受付開始
--- 第17回 早稲田大学まちづくりシンポジウム2009 -----
09:30~ 主旨説明 佐藤 滋(早稲田大学理工学術院教授)
10:00~12:00 基調講演と基調ディスカッション
「イタリアの社会的事業とその展開」(通訳)
Prof. Gianfranco Franz(フェッラーラ大学経済学部准教授)
・基調講演を受けての、基調ディスカッション
佐藤滋、田村和寿(横浜桐蔭大学教授)、早田宰(早稲田大学社会科学学術院教授)
鈴木進(早稲田大学都市・地域研究所客員研究員、早稲田都市計画フォーラム代表幹事)

12:00~13:00 ・・・・ 昼食休憩・・・・

13:00~15:30 分科会
<分科会 A>
「市民事業のつむぎ方」
~市民事業における協働の運営体制~
【趣旨説明】  内田奈芳美(金沢工業大学専任講師)
【事例・パネリスト】
「横浜市・寿町」岡部友彦(コトラボ合同会社 代表)
「早稲田大学界隈の学生事業」内田友紀(02 café 前副代表)
「三鷹市」河瀬謙一(三鷹SOHO倶楽部 代表)
【コメンテーター】昌子住江(NPO法人おっぱま 理事)、田村和寿(前掲)
【司会】齋藤博 (早稲田大学 都市・地域研究所客員研究員)

<分科会 B>
「地域循環まちづくりの現場からのヒント」
~まちづくり市民事業を動かすこれからの市民・専門家像~
【趣旨説明】  阿部俊彦(早稲田大学客員研究員、LLC住まい・まちづくりデザイン)
【事例・パネリスト】
「鶴岡」川原晋(首都大学東京准教授)柳沢伸也(やなぎさわ建築設計室)「土澤」渡邊佳洋(土澤まちづくり会社)小林愛佳(アーキネットデザイン)
【コメンテーター】古川守央(南條設計室)、益尾孝祐(アルセッド建築研究所)、済藤哲仁(現代計画研究所)、野田明宏(象地域設計)、岡田昭人(早稲田大学都市・地域研究所客員研究員)
【司会】杉本千紘(都市デザイン)

<分科会 C>
「多様な市民事業の組み合わせによる地域外からの資金獲得と資金循環による 『環』の創出」
~ファイナンス機能の充実による自立の模索~
【趣旨説明】  小松俊昭(金沢工業大学)
【事例・パネリスト】
「コープオリンピア」植村公一(株式会社インデックスコンサルティング)
「リージョナルシネマ」谷國大輔(株式会社 バリーオ)
「熊本他」木下斉(熊本城東マネジメント株式会社)
【コメンテーター】澁谷耕一(リッキービジネスソリューション株式会社 代表取締役)、木村美穂子
(芦田・木村国際特許事務所)
【司会】    大慈弥晶土(リッキービジネスソリューション株式会社)

----------第15回早稲田メイヤーズ会議----------
16:00~18:30「市民派市長の政策と方法」
横山久雅子・白井市長、邑上守正・武蔵野市長、井原健太郎・柳井市長
各メーヤーから、「市民派市長の政策と方法」を報告いただいた後、分科会報告も含め、
これらを議論展開の素材に、総括ディスカッションを行う。
【コメンテーター】佐藤滋、齋藤博、川原晋、小松俊昭
【モデレータ】後藤春彦(早稲田大学教授)

19:00~20:30 懇親会

■参加費
資料代:一般3,000円、早稲田都市計画フォーラム会
員:2000円、学生:無料
■申込み
参加ご希望の方は、氏名・所属・連絡先、及びフォー
ラム会員・一般を記載の上e-mailまたはFAXにてご連絡く
ださい。
Email: sympo@toshiforum.arch.waseda.ac.jp
事務局:〒169-8555新宿区大久保3-4-1 55N-7-10A 佐藤研究室
(白木、今溝)FAX:03-3205-2897
■懇親会:3000円
■ 主催
早稲田まちづくりシンポジウム2009実行委員会(委員長:佐藤滋)
早稲田都市計画フォーラム、早稲田大学都市・地域研究所

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2008年8月 8日 (金)

中心市街地活性化。基本計画策定688→54。TMO構想認定412→協議会設立111。この減った数字の意味するものは?

中心市街地活性化基本計画は平成20年7月9日に21市町村(22地区)が認定され、54となった。(平成20年7月9日現在)

内閣府中心市街地活性化担当室による。)

また、中心市街地活性化協議会支援センターによると、

平成20年8月4日までに設立された協議会数は111。

(詳細は、支援センターのこちらのページに掲載されている。)

この数字は、法改正後、約2年が経過した数だ。

一方、法改正(まちづくり三法の見直し)前。

中心市街地活性化基本計画は688策定され、TMO構想(中小小売商業高度化事業構想)は412認定された。(平成18年6月30日時点の資料による)

市町村合併もあるので、この数字を単純に比較できないが、旧法で中心市街地と捉えられた地区は、一定の集積がある中心市街地。

(以前も現在も、「ワンセットで都市機能が集約できる」のが中心市街地とされている。)

だとすると、この減った数字の意味するものは一体何か?

それは、改正前の中心市街地が、その後、どうなっているのかということに繋がっている。

今回の法改正は、はっきりと選択と集中を謳っている。

だから、その結果、選ばれた地域と抜け落ちた地域ができた。

まだまだ途上の段階だが、もしも、選ばれた地域がちゃんと成果をあげなければ、成果を上げていたのに法改正で動けなくなった旧TMOとそれらの地域は、その結果をどう捉えたらいいのだろう?

まちづくりは、結果がみえるには相当の時間がかかるもの。

まだ、当分は結果は見えてこない。

いずれにしても、時代は変わった。

選択された地域が成果をだし、選択しなった(選択されなかったのではない、選択しなかったか、選択できない状況になった)地域も、他の施策メニューで頑張るか、いやそうばかりも言っていられないだろう。

自らその方法を考えて、地域を活性化していかなければ生き残れない。

Dsc03725

写真は、北海道夕張市の夕張駅で撮影した「幸せの黄色いハンカチ」。

黄色は希望の色。

一番大切なものは自分の中にある。

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2007年12月 3日 (月)

中心市街地活性化基本計画認定状況((11月30日)

11月30日に5市の基本計画が認定され、全国で23となった。

認定されたのは

青森県三沢市(人口約4万3千人)

富山県高岡市(人口約18万人)

福井県福井市(人口約27万1千人)

福井県越前市(人口約8万7千人)

鳥取県鳥取市(人口約20万人)

の5市。

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2007年9月13日 (木)

まちづくり3法改正と地域格差

仕切り直しで始まった中心市街地活性化施策。

10年以上前に都市計画の分野で環境都市のあり方として注目された「コンパクトシティ」という概念があったが、その「コンパクトシティ」という懐かしい言葉が、改正中心市街地活性化施策における旗印に掲げられ、まるで合い言葉のように使われている。

このコンパクトシティ、言い換えると中心市街地への移住施策とも見て取れる。

(人口減少社会が到来するなかで、都心居住を推進するのだから、そういうことになる。)

だが、これまでに基本計画を提出した18都市の実態をみると、そのほとんどの市街地は拡散がつづいているのが実態だ。(DID人口が減少。人口密度も減少。)

また最近、全国各地でTMOを設立して事業を推進してきた数多くの市町村の方々が「突然、梯子を外された。」と不平を公言するようになってきた。

地域をよくよくみていると、これまで地道にTMO事業を推進し、まちなかの活性化をしている地域も少なからずあったのだが、人口増加が当たり前の右肩上がりの時代の発想を引きずり、人口の推移と商業統計など、経済的な効率性ばかりを判断基準にして、「どこもかしこも総崩れで。」などという声が大きくなり、今回の全て仕切り直しとなった。

さらには、「限られた財源の効率性を高める」ということもあり(方向性は当然だが問題はやり方である)、「選択と集中」いいかえれば「地域格差の推進」という方向がはっきりと打ち出された。

しかしながら、法改正が市町村合併の直後であったことは大きな問題であったといっjていい。

一つの自治体に、いつくもの中心市街地が存在するのだ。

合併特例では、「中心市街地活性化をそのまま推進する」とか「複数の中心市街地を設定すればいい」などと明記されていたとしても、実情はなかなかそうはすすんでいない。

そのうえ、突如としてTMOでなくなったまちづくり会社の喪失感。

「これまで、一所懸命に推進して事業は一律に失敗だったのか?」

「グローバル化する経済の潮流が、はたしてこのままずっと続くのか。」

「そうだとすれば、この流れに乗らなければ生き残れないだろう。」

「しかしながら、よれば大樹の陰、それで地域に暮らす人々は未来永劫に幸せに暮らせるのだろうか」

そういった、素朴な疑問がここ数年に地方に蒔かれていた。

そしてにわかに、まるで雨後の竹の子のように、そういった素朴な主張をする人が増えてきているようだ。

さらには、青森、富山、長野など、同じ名前の限られた都市ばかりが、シンポジウムの定番メンバーとなり、シンポジウムの中身はマンネリ化して、そこから得る情報はもはやほとんどないといっていい。

また、これらのモデル都市、いってみると現地の実態はどこも厳しいものだ。

改正した中心市街地活性化の施策。

コンパクトシティといったかけ声ばかりでなく、地域の実情に沿った多様な都市像が描けるようにしないと、改正前以上に厳しい結果となりそうな感がある。

参議院選挙の結果と中心市街地活性化の仕切り直し。

まったく無関係とはいえない様相だ。

地方は、「狭い部屋で寝て起きた朝のような”酸欠した息苦しい空気”がみちあふれている」ように思えてならない。

追記

私の好きな評論家の一人である森永卓郎氏の「コンパクトシティ」こそ高齢化社会のトレンド」という記事を見つけた。ストロー効果をベースに論じている。見解は近いような遠いような。

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2007年9月 4日 (火)

中心市街地活性化基本計画認定状況((8月から)

8月27日に5市の基本計画が認定され、全国で18となった。

北海道帯広市(人口約17万人)

北海道砂川市(人口約2万人)

千葉県千葉市(人口約92万4千人)

静岡県浜松市(人口約82万2千人)

和歌山県和歌山市(人口約38万3千人)

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2007年7月26日 (木)

各地で商店街の選挙セール

投票所で「投票済証」をもらい、それを商店街の参加店に見せて割引サービスなどをする「選挙セール」

参議院選挙でも行われるようである。

○山形県
酒田市中通り商店街

(商店街振興組合)

○埼玉県

戸田市

皆野町

(秩父鉄道皆野駅と親鼻駅周辺を中心にした地域商店。商工会がやっている)

○東京都

大田区北大岡山商店街

大田区御岳商店街

新宿区早稲田商店街

新宿区高田馬場西商店街

東久留米市まえさわ小町商店会

○群馬県

館林市の中心商店街

○長野県

松本市本町商店街

○石川県

七尾市

○京都府

京都市

○大阪府

大阪市(青年会議所)

大阪市港区八幡屋商店街

投票済証を抽選券にして5万円当選のチャンスらしい)

岸和田市蛸地蔵商店街

○沖縄県

沖縄県明るい選挙推進青年会VOTE

などが参議院選挙で選挙セールを予定しているそうである。

この他にも各地で予定されているようだ。

選挙セールのサイトは

選挙セールドットコム

これまでの選挙セール(一新塾のまとめ)

などがある。

Dsc00185

写真は東京都豊島区の商店街

(本文の選挙セールとは関係ありません。)

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2007年7月19日 (木)

秋田県美郷町六郷の「名水」を活かした特産品「ニテコサイダー」

Dsc00006

こちらは旧ラベル

Rshoim

ニテコ清水で冷やしているニテコサイダー

013

こちらは新ラベル

六郷まちづくり株式会社で購入できる。

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秋田県美郷町六郷の中心市街地の「湧水群」

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藤清水

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キャペコ清水

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ニテコ清水

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湧水群には絶滅危惧種の魚「ハリザッコ」が棲んでいる。

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お店「はたちや」さんのハタチや清水

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御台所清水

その他にもいろいろある。

清水巡りはこちらから。

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2007年7月17日 (火)

秋田県美郷町六郷の中心市街地の魅力「名水」とそれを育む周辺地域の仕組み

Dsc00216

美郷町にある「関田円形分水工」

奥羽山脈からの湧水を田んぼにわけあう。

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このように、中央から水が出てきて外側の穴から水が出てきて水を分ける。

Dsc00222 

その側の穴の数は180。

Dsc02539_1

(こちらの写真は冬に撮影)

その後、仕切りで7つの水路に分配されて

美郷町の六郷、千畑、仙南の3つの地区の田んぼ(約877haと広い)を潤している。

Dsc00937

そして田んぼの水がまたいったん、地下水となり、

それが中心市街地でまた地上に出てきて湧き水となる。

それが、名水百選にも選ばれた「おいしい水」

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六郷の名水

湧水群の一つ、御台所清水にて撮影。

このように中心市街地は周辺地域とつながっている。

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2007年7月15日 (日)

秋田県美郷町六郷の中心市街地をはぐくむ田んぼ

秋田県の六郷町(現:美郷町)

名水の湧く中心街を育んでいるのは奥羽山脈の裾野に広がる田んぼである。

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田んぼが中心市街地の湧水を育んでいる。

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稲穂が風にさざめき、実りの秋も近い頃に撮影。

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秋田県美郷町六郷の「湧太郎」

湧太郎は、湧水に恵まれているから。

名水百選などに選ばれている。

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オープニングの頃。

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まだ、朝早く、町は眠っている。

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秋田県六郷町(現:美郷町)で撮影。

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2007年6月23日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市12)

事業推進で苦労した点及び成功要因
瀬戸市では2005年日本国際博覧会の開催が大きな原動力になり、市をあげてまちづくりに取り組んでいる。しかし、現在のところ瀬戸まちづくり株式会社は運営経費の捻出に苦労しており、TMOの本来の取り組みにもっと力が注げるような何らかの支援が必要となっている。しかしながら、TMO設立によって、行政、商工会議所、民間企業、商店街などが一体になって事業を進めるようになったことは大きな成果となっている。

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2007年6月22日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市11)

(株)まちづくり会津と業務提携

福島県会津若松市のTMO「(株)まちづくり会津」と業務提携を視野に入れて、瀬戸市の伝統産業である赤津焼や会津若松市の伝統産業の塗り物などをそれぞれの空き店舗で販売する計画をした。

地酒などの特産品も販売する予定であり、TMOによる地域連携が始まっていた。

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2007年6月21日 (木)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市10)

シンクタンク機能の強化
全国のまちづくり団体や民間企業に出向した経験をもつ市役所の若手職員にTMOの研究員になってもらった。個人のボランティアとして参加してもらい同社事業に対するアイデア、ノウハウを提供してもらう計画である。現在のメンバーは19人となっている。

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2007年6月20日 (水)

インターネット七夕

イベントでもインターネットの活用が増えている。

大分前であるが、七夕祭りでインターネットで願いのメッセージを集めてそれを商店街に飾っていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市9)

「まちづくりセミナー」の開催

ドイツ在住の日本人建築家、向井太一氏を講師に招き、「ドイツの環境共生型まちづくり」をテーマに講演会を開催した。参加費は3000円であったが、用意した50人程の席では足りないほどの盛況であった。

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2007年6月19日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市8)

情報紙「タウンレポート」の発行

商店街活性化に向けての情報紙「タウンレポート」を発行している。1500部印刷して商店街を中心に配布している。

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2007年6月18日 (月)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市7)

収入源確保のための多彩な事業

第3セクターといえども一企業であるという視点にたって運営費を捻出するための事業を展開していた。

2002年以降に中心市街地活性化のためのハード整備事業が本格化するが、現在はそのための準備期間であり、まちづくり会社の体力づくりの期間であるとしていた。

そのため、出資金の1500万円は全額定期預金にして手をつけずに、僅かな利益でも積み重ねる精神で事業運営費を稼いでいる。

これらの事業は本来のまちづくり会社の趣旨とは違和感があるが、全国の第3セクターの赤字経営を反面教師として、自前の運営を最優先しているのである。

初年度の収支計画は970万円で、このうち運営管理費補助などで350万円の収入があるが、残りの620万円は自ら稼がなければならない。

市と瀬戸信用金庫から一人ずつ派遣され、商工会議所の職員も兼務で業務に協力しているが、パート一人分の人件費と自動車のリース代や通信費、商工会議所に納める月に5万円の家賃があり、27万~28万円/月の固定費がかかるのである。

そのためにあらゆるアイデアで稼いでいた。

それは、

1)清涼飲料水の自動販売機の設置と斡旋、

2)日本シリーズの第四戦のチケット40枚を押さえて観光バスをチャーターし食事つき1万円の観戦ツアーの販売、

3)せともの祭のスタッフ用Tシャツの販売、

4)市役所をターゲットにした名刺印刷の仲介(身障者の施設に委託)、

5)駐車場管理、

6)全国の商工会議所をターゲットにした干支のせともの販売、

7)損害保険の代理店業務、

8)弁当の販売、

9)TMOについての講演会、

10)視察などを受けたときの資料代などである。

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2007年6月17日 (日)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市6)

事業推進体制

瀬戸市では商工会議所が中心市街地活性化の活動に大きな役割を果たしていることから、商工会議所が主体となってTMOとしてのまちづくり会社を第三セクターで設立させた。

1000万円の資本金を目標に株式公募したが、商店街の人たちを中心に108名の出資者があるなど予想を超えた出資があり、資本金は現在1500万円となっていた。

2003年には出資金を4倍の6000万円に増資し事業を本格化する予定であった。

瀬戸まちづくり株式会社は

1)同社が事業主体となって行う直轄事業、

2)各商店街振興組合が主体となって行う事業を支援する組合事業、

3)個人や複数の事業者が事業主体となって行う事業を支援する個別事業の3つの事業を展開するとしていた。

TMOの調整能力を高めるために同社に決定権を集中し、各商店街をその下の事業部に組み入れ、イベントは事業部(各商店街)でやることになっていた。

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2007年6月16日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市5)

計画の特徴

瀬戸市は2005年日本国際博覧会開催にむけて中心市街地活性化に総力をあげており、基本計画では全体で56の事業のうち、博覧会開催前に43事業を実施する予定となっていた。

計画の柱は、古くからの地場産業である陶器産業を活かした産業観光都市への脱皮である。

博覧会の見学者を中心市街地へ導くには製造業の街に加えて、観光の街としての魅力づくりが不可欠となっていた。

そこで、尾張瀬戸駅前地区に宿泊機能をもった地上10階建ての商業ビルを建設し、同時に中心部を横断する瀬戸川を整備する計画「瀬戸川文化プロムナード」も進める。

また、陶器をテーマとした観光拠点「新世紀工芸館」や商店街を再編成した「焼き物専門店街」、並びに「やきもの博物館構想」などの整備が目白押しとなっていた。

(この後、愛知万博のメイン会場が長久手に変更された。)

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2007年6月15日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市4)

計画の基本的な方向

2005年日本国際博覧会開催を契機として瀬戸を育んできた「せともの文化」を再構築するまちづくりを目指していた。

基本方針として、

1)「せともの文化」を支える都市基盤づくり、

2)「せともの文化」が漂う都市イメージづくり、

3)「せともの文化」を活かす新たな都市型商業づくり、

4)「せともの文化」がいきづく都市型生活環境づくり、

5)「せともの文化」が結び合う新たな体制づくりをあげていた。

そして、世界へと「せともの文化」を発信するまちをつくりあげることをめざし、「瀬戸・くらしミュージアム-せともの文化と出会うまちづくり-」を目標像としている。

中心市街地にある4つの商店街の活性化目標として、

1)中央通り商店街が「くらしのゆたかさを実感できるものやコトと出会う街(生活遊園地瀬戸川通り商店街)、

2)末広町商店街が「長い間共存してきた市民共存のシンボルとなる街(NEO DOWN TOWN 温故知新のコミュニケーション商店街)」

3)銀座通り商店街が「せともの文化に根ざした潤いのある街(せともの)ヒストリーロード商店街)」

4)みなみ商店街が「生活者を大切にする地域とふれあいの街(くらしの中でサービスを提供する商店街)」としていた。

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2007年6月14日 (木)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市3)

計画策定のきっかけと経緯

2005年日本国際博覧会誘致決定の半年後の97年12月頃、中心市街地活性化法に関する情報が瀬戸市に入り、瀬戸商工会議所を中心に98年2月から取り組みを始めた。

そして、98年に基本計画とTMO構想の策定にほぼ同時に着手した。その後、99年5月に商工会議所、市、商店街などが中心となってTMO「瀬戸まちづくり株式会社」を設立した。

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2007年6月13日 (水)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市2)

中心市街地の概要(旧法)

瀬戸市の中心市街地は、瀬戸川沿い、御蔵会所跡(旧市役所、現市民会館)を中心に「せともの文化」を発露する場として発展してきた。

しかし、近年は陶磁器産業の不振、周辺丘陵地における住宅地開発の進展、郊外への大型店やロードサイドショップの進出などにより街全体の活力が失われつつあった。

全市の人口が昭和50年から平成9年にかけて15.6%の増加を示している一方、中心市街地では31.9%の減少となっており、65歳以上の人口も全市平均の13.7%(平成9年)に対して、中心市街地は21.1%と高齢化も進んでいる。また、かつてあった窯場(かまば)などがほとんどなくなり、「せとものの街」としてのイメージがなくなってきていた。

(2)位置及び区域
瀬戸川沿いに広がる旧来からの市街地であり、名古屋鉄道瀬戸線の起点である「尾張瀬戸駅」及び江戸時代に尾張藩のやきものの集積所であった「御蔵会所跡」(旧市役所、現市民会館)を中心とした区域である。

この区域は、「都市活力再生拠点整備事業」に位置づけられた区域を含み、4つの商店街振興組合がある等、相当数の商業者が集積している。面積は約105 haであった。

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2007年6月12日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり愛知県瀬戸市1)

瀬戸市の当時の様子(平成12年頃)

瀬戸市は名古屋市の北東約20kmに位置し、面積は、111.63k㎡、人口は約13万人で、周囲を丘陵に囲まれた自然環境に恵まれたまちであった。

また、1300年余りの歴史と伝統を誇る「せともののまち」であり、「日本六古窯」の一つとしてその名を残し、中世以降我が国有数の陶磁器の生産地としてその地位を確立してきた。その歴史は「せともの文化」として現在にまで受け継がれている。

当時、「2005年日本国際博覧会」の開催に向けて総合的なまちづくりに取り組んでいた。

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2007年6月11日 (月)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町11)

当時の課題と方向性

 地元生活者の利便性向上と一極集中する観光客を中心街全域を回遊してもらうには、市民参加のまちづくりが不可欠であった。

酒蔵で「出石城下町を生かす会」が年に一度酒蔵コンサートを開催しているが、こういった活動を支援していく必要があった。

町民によるまちづくり活動として「出石城下町を活かす会」や「女性たちのまちづくり会議」なども育ち始めており、平成9年10月に商店街組織として結成された「ポイントカード会」もある。

これらの町民グループとともに様々な事業を展開していくことが、更なる飛躍につながっていくと思われた。

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2007年6月10日 (日)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町10)

事業推進で苦労した点及び成功要因

出石町の計画は無理のない実現可能なものであり、まさに「人間サイズのまちづくり」となっている。

中心市街地活性化法に基づく大臣認定などの業務も、全国に先駆けたものであり通産局や県と共に手探りながらもしっかりと進めている。

行政主導型のまちづくりの好例といえ、既存のまちづくりのシナリオもはっきりと描かれている。

行政がリーダーとなって市民や商工会及び観光協会などとも連携をとりながら推進している。

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2007年6月 9日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町9)

テナントミックスのための調査

テナントミックス管理事業等を導入し3年間の家賃補助を行っていく計画であった。

そのために現在、TMO基金を活用した調査事業を実施していた。

若者向け業種や手作り工房を誘致し、若い人にも商店街に来てもらう計画であった。

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2007年6月 8日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町8)

集合貸店舗の建設

商店街の入り口にある空き地を利用し、テナントミックスに資することを目的として集合貸店舗の建設を行っていた。

テナントにはファーストフードなどの若者向けの小売業種を始め、出石町の商店街に不足している小売・飲食など7業種を誘致する計画である。

商店街の業種構成の充実を図ることで地元消費者の利便性向上や観光客の回遊性の促進、並びに町内での消費の促進といった相乗効果を目指していた。

建設費は約9000万円であるが、県から1/4、国から1/2の補助があり、残りの1/4に(株)出石まちづくり公社は資本金をあてている。

ちなみに、支出は資本金の範囲内に収まっている。

平成10年度の基本計画策定の時にはすでに計画がほぼできあがっており、建設地も町有地であったために事業を全国に先駆けていち早く展開することができた。平成11年12月には大臣認定を受けている。

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2007年6月 7日 (木)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町7)

街並みギャラリー

旧城下町再生計画において提案された「まちかど博物館」づくりであるが、平成11年9月に中村金物店に「金物ギャラリー」がオープンした。

あくまでも民間が自主的に行ったものであり、アルミ製の弁当箱、湯を入れて使用するアイロンなど明治から第2次世界大戦後までの金物を展示している。

出石町の中心市街地活性化に関連する事業は、この例が示すように、今までのまちづくりの積み重ねが土台となっている。

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2007年6月 6日 (水)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町6)

事業推進体制

(株)出石まちづくり公社は、平成10年6月に第3セクターとして設立された。資本金5000万円のうち出石町が1/2を出資し、残りを出石商工会をはじめ167もの個人・法人が出資して設立した。

同社はTMO構想策定後の平成11年5月にTMOに認定されている。

町長が社長となり行政主導でまちづくり会社を経営している。従来観光協会が経営していた「いずし観光センター売店」、「そば茶屋(石城閣)」、「喫茶店(てっせん)」、「武家長屋資料館」などの事業を引き継ぎ、社員17人(内パート7人)を抱えているが、初年度の決算は約90万円の黒字と順調な滑り出しとなっていた。

TMOが取り組む事業として、

1)集合貸店舗の設置、

2)空き地、空き店舗、空き家の有効利用、

3)交流施設の整備、

4)観光PR施設の設置などがあがっていた。

一方、町は街並み環境整備事業や地域文化財保全事業など、ハード整備が中心となっており、TMOと町が連携して中心市街地活性化を推進する体制となっていた。

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2007年6月 5日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町5)

計画の特徴

出石町における中心市街地は観光と密接に関係している状況にある。しかし、観光客は大手前地区周辺に集中し他の商店街までは足を運んでいない。

そこで、多くの観光客を中心市街地全域の商店街に誘導し、商店街全体に活気を取り戻す施策を進めることとした。

観光客を商店街全域に回遊させると同時に近隣市町の大型店に流出していた地元消費者を呼び戻す計画である。

そのためには、観光振興をはかる一方で、居住環境の改善や商店街における地元消費者の利便性向上も図らなければならない。

日常生活に密着した最寄り品から暮らしを充実させる品まで幅広い買い物ができるような商店街づくりを目指している。

商業と観光と農業を連携させた事業の展開によって町全体の活力を向上させようとしているのである。

借家希望の多い八木・田結庄・枡形通りなどへ観光客を誘導する仕組みを作り、空き店舗を有効利用することで中心市街地全体に賑わいをつくっていく。

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2007年6月 3日 (日)

中心市街地活性化基本計画の認定状況、今のところ13市の内9市が県庁所在地(法改正後、平成19年5月28日現在)

平成19年5月28日に青森市と富山市に続き新たに11市が基本計画を認定された。

これで、全国で13市となった。

今のところ、岩手県久慈市、広島県府中市、大分県豊後高田、熊本県八代市の4市を除く9市はいずれも県庁所在地となっている。

豊後高田市(人口約2万6000人)など人口規模の小さな市も認定されている。

ちなみに、

岩手県久慈市の人口は約3万9000人。

広島県府中市の人口は約4万6000人。

熊本県八代市の人口は10万人を超えていて約13万7500人である。

なお、5月28日の認定は下記の通り。

岩手県久慈市:久慈市中心市街地活性化基本計画

石川県金沢市:金沢市中心市街地活性化基本計画

長野県長野市:長野市中心市街地活性化基本計画(1章11章22章~3章4章~8章9章~12章

岐阜県岐阜市:岐阜市中心市街地活性化基本計画

広島県府中市:府中市中心市街地活性化基本計画

山口県山口市:山口市中心市街地活性化基本計画本編資料編協議会への回答

香川県高松市:高松市中心市街地活性化基本計画

大分県豊後高田市:豊後高田市中心市街地活性化基本計画

熊本県熊本市:熊本市中心市街地活性化基本計画(記者会見はこちら

熊本県八代市:八代市中心市街地活性化基本計画

宮崎県宮崎市:宮崎市中心市街地活性化基本計画

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中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町3)

計画策定のきっかけと経緯

出石町ではそれまでに「内町都市核形成計画」、「旧城下町再生計画」、「HOPE計画」等の事業計画が策定していた。

また、昭和62年に兵庫県の都市景観地区の指定を受け、平成元年には建設省の都市景観モデル都市の指定を受けるなど、個人の町屋、店舗等の外観修景等に対する助成事業や町屋デザインマニュアルなどの作成に取り組んできていた。

これらの取り組みにより観光客が増え中心街に賑わいが戻ってきた。

そこで、中心市街地活性化基本計画やTMO構想を策定し、TMOを設立することによって地元住民の利便性向上などをめざし、さらなる活性化を図ることにした。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町4)

計画の基本的な方向

出石町振興計画のテーマは「ひとと暮らしがやさしくとけあう伝統と創造の都・いずし」であり、農林業、商工業に観光をも取り入れて産業全体が連携することにより、新たな事業展開を進めるとしていた。

また、同計画における商業振興の方針として、

1)自動車利用に対応する買い物環境の整備、

2)城下町の町並みを活かした商店街づくり、

3)観光と伝統産業を活かす商業の展開があげられている。

それらを踏まえ、中心市街地活性化基本計画では

「商店街を楽しもうー見て・ふれて・楽しい商店街ーをテーマに、市街地全体を楽しい空間として演出することによって商店街の活性化を図ろうとしている。

商店街の活性化に加えて観光と農業についても視野に入れた魅力ある商店街づくりを目指しているのである。まち全体を安全で安心して生活できる空間として、豊かな自然や人間関係が息づき、生きる喜びと感動を実現できる「人間サイズのまちづくり」をしていくとしていた。

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2007年6月 2日 (土)

食をテーマに活性化「B級グルメのイベント」

静岡県富士宮市で「第2回B級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」in富士宮」が開催されている。

出展は、

○カレー系

富良野オムカレー

奥美濃カレー

○麺類

横手やきそば

上州太田焼そば

富士宮やきそば

小倉発祥焼うどん

○やきとり系

室蘭やきとり

久留米やきとり

○餃子系

浜松餃子

すその水ギョーザ

○おでん系

青森生姜味噌おでん

静岡おでん

○鍋・お汁系

八戸せんべい汁

各務原キムチ鍋

たまごふわふわ

○丼物

駒ヶ根ソースかつ丼

○他にも

行田ゼリーフライ

厚木シロコロ・ホルモン

若狭小浜焼き鯖寿司

高砂にくてん

とうふちくわ

と様々である。

第1回の開催は八戸市であり、八戸で始まった(八戸せんべい汁推進委員会)の注目のイベント。

おすすめです。

愛Bリーグでは参加を受け付けているようです。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町2)

中心市街地の概要
(1)現状
出石町の中心市街地は昔ながらの町並みが形成されており、商店街も碁盤の目状に広がる道路に沿って軒を連ねている。年間約100万人の観光客が中心市街地に訪れており、城跡、家老屋敷、振鼓楼などの施設と城下町の町並みを散策している。しかし、その観光客の大半が観光資源が集中する大手前地区周辺に集中しており、八木・田結庄・枡形通りなどの他の商店街までは足を運ばなくなっている。また、近隣市町への大型店の出店や郊外型スーパー等の進出もあり、地元消費者の客足が遠のき、空き地や空き店舗も目立ち始めるようになってきた。さらには、大手前地区以外の商店街にもそば屋やお土産物屋への転業が進み、中心市街地における商店街の構成業種のバランスが崩れ、地元消費者の利便性を損ないつつある。
(2)位置及び区域
出石町の中心市街地は町役場を中心とする約 66haの区域である。 旧城下町地区を中心に、北は県道寺坂柳線、西は出石川右岸、南及び東は有子山の山裾を囲んだ区域で、道路が碁盤の目状に広がり、それぞれの通りに面して一般住宅や商店が集積している。

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2007年6月 1日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり兵庫県出石町1)

出石町の概要
出石町は兵庫県の北東部に位置し、東は但東町、西は日高町、南は養父町と和田山町、北は豊岡市と京都府久美浜町にそれぞれ接している。東西11km、南北14.2kmで面積は89.13k㎡である。現在の町の人口は約11,300人となっている。
江戸時代には但馬地域の中心地として栄えた城下町で、町割は当時のままで道路は碁盤の目状に整っている。また、城郭や辰鼓楼、並びに家老屋敷などの歴史的建築物が数多く残ってもいる。明治以降は鉄道から遠ざかったため、但馬地域の中心は豊岡市へと移ったが、そのために城下町としての風情が今に伝わっており、近年は年間100万人が訪れる観光地となっている。また、1706年に城主仙石氏がお国替えの際に連れてきたそば職人によって、在来の「そば」に信州の手法が加わり、伝統的工芸品「出石焼」と組み合わせて、今日の「出石皿そば」が生まれた。この「出石皿そば」は近年、観光資源として注目され、昭和45年には4軒しかなかったそば屋が現在は49軒にもなっている。

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2007年5月31日 (木)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市13)

事業推進で苦労した点及び成功要因

TMO第一号になったことが意識づけにつながっている。TMO設立後は商店街の動きが活発になってきている。また、各商店街が連携して事業をするようになってきていることも大きな成果である。

例えば、止まり木は3つの商店街が共同で行った事業である。

勉強会などを行う回数も増えており、そこでの情報交換も貴重な財産となっている。

苦労している点はやはり資金面であった。また、中心市街地活性化は商店街の人たちが主役であり、個店がやる気にならなければ難しい面もある。そのあたりの意識をいかに高めていくかが大切である。

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2007年5月30日 (水)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市12)

顧客管理(カード化)システム事業

遠野すずらん振興協同組合が事業主体となりスタンプ事業のカード化への移行をおこなった。市や県の補助で実施し約2000万円の事業を展開した。

下一日市地区土地区画整理事業

平成6年度から16年度、遠野市が事業主体となり下一日市地区で土地区画整理事業をすすめていた。古い建物や土蔵を積極的に利活用する創造的保全を図るための都市基盤施設整備である。区域面積は5.1haで、商業、観光、生活文化の施設をバランスよく配置する計画であった。

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2007年5月29日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市11)

TMO瓦版の発行

TMO情報としてA4版の瓦版を発行していた。

平成10年6月19日から12月18日までで既に16号発行している。発行部数は700部で商店街の代表の人にお願いし商工会会員以外の人も含めて手渡しで配布していた。

会議の記録、講習会や懇談会の動きなどを伝えている。

また、B4版のTMO情報の第一号も発行した。2ヶ月に1回のペースであった。イベントの紹介なども行っている。7900部を発行し、河北新報、岩手日報、読売新聞、朝日新聞のオリコミで配布していた。経費は4円/枚、3円/枚(B4)であり、B4とすることで経費を削減した。用紙代として5~6万円かかる。国の先進事業を活用し年間30万円の事業となっていた。

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2007年5月28日 (月)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市10)

遠野市中心商店街等共同販促事業

平成10年度、TMOが事業主体となり商店街組織を有機的に連携させた体制づくりを行い、共同施設の整備や共同販促事業を展開していた。

商品券を遠野すずらん振興協同組合、マイカル、遠野ショッピングセンターで3ヶ月間限定で展開した。

プレミア分として300万円分を上乗せし3300万円分を発行したが、市の助成が5%で150万円、残りの150万円を3社で割合負担した。中心市街地商業活性化基金事業(広域ソフト事業)で行った。

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2007年5月27日 (日)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市10)

空き店舗活用事業

平成11年度から13年度、TMOが事業主体となり空き店舗活用事業を実施していた。

各商店街に平均2店舗ある空き店舗を有効活用し、商店街としての吸引力を高め商業活性化を図るものである。

空き店舗情報の収集・提供、必要業種の誘致に加えて、ギャラリー、休憩スペース、ボランティアガイドターミナル(案内所)、あったかスポット(商店街待合室)などとして買い物客や観光客に対するサービスを提供していた。中心市街地活性化基金事業(テナント・ミックス事業、市助成金)により実施していた。

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2007年5月26日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市9)

町家の心を伝えるファサード事業

平成10年から14年度、TMOと遠野下一日市まちや振興協同組合が共同で事業主体となり、下一日市地区で町家の心を伝えるファサード事業を展開していた。

江戸時代から培ってきた城下町遠野の中心商店街には「町家の心」が息づいている。この「町家の心」をコンセプトに、民話のふるさと遠野にふさわしい豊かな町並みを形成するものである。

下一日市地区景観形成住民協定書に基づき、遠野にふさわしい町並み景観を形成するものであり、魅力ある商店街整備事業(国庫リノベーション補助金)を活用しているが、負担率は国と県で1/2、組合で1/2となっていた。

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2007年5月25日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市8)

止まり木設置事業

TMOが事業主体となり止まり木設置事業を実施した。

止まり木とは、近所の人や通りすがりの人が集まって言葉を交わし長話を楽しむ「道路端会議」ができる環境を創出し、店主や店員が表へ出てお客様とふれあい町の賑わいを創出を盛り上げていくもので、いわば民話を話す馬のベンチである。

20基設置されたが、そのうちの6基にはスピーカーが設置され、そこからはタウン情報、催事情報、商店街のコマーシャル、遠野物語の遠野歌、昔話などが流れている。

昔話は、「オシラサマ」(5分)「豆腐とこんにゃく」(2分)、「アオムシのハラヤミ」(2分)などとなっているが、有名な語り部にお願いして制作したもので聞き応えがある。

ハード整備は魅力ある商店街整備事業(国庫リノベーション補助金)で、1/2の補助である。国が1,545千円、県が1,545千円、市が1,000千円、商店街が620千円で合計4,710千円の事業となっていた。

一基あたり、約20万円であるが、スピーカー付きは約25万円であった。

スピーカー付きのものはカセットテープを利用している。昔話は共通であるが、3種類の広告と7種類の歌があり全部で21種類のテープがある。

これらのテープは各商店街が管理している。また、止まり木を活かしたイベントも展開している。中心市街地商業活性化基金事業(広域ソフト事業)で実施したもので、遠野まつりではしし踊りや南部ばやしなどの郷土芸能団体が商店街を通った。その際には、商工会婦人部がさわやかトイレを30カ所設置した。

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2007年5月24日 (木)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市7)

事業推進体制~遠野市商工会がTMOとなり連携を促進~

TMOの受け皿として、商工会と第3セクターのまちづくり会社「アドホック」が候補にあがったが街づくりに関する人的資源などが充実していることから商工会をTMOとすることにした。

TMOとなった商工会は、関係する機関との連携を図りながら計画の具体化に向けての中心的な役割が期待されていた。

TMOは、各商店街や街づくり会社、並びにショッピングセンターなどからなる遠野市中心市街地活性化連絡協議会を組織し、具体的な事業の実行にあたっての企画調整を推進していた。

一方、遠野市は中心市街地活性化推進会議を組織し、関係機関の連携に努めるとともにTMOを指導支援している。また、TMOの業務は商工会の経営指導員が行っている。だんだんとTMOの業務量が増えてきており、商工会としてその業務を担う臨時職員を雇う必要もあるが、それには運営費補助が必要となるため、当時、商工会職員が兼務で業務をこなしていた。

また、遠野市では岩手県建築士会遠野支部が街づくりにリーダーシップを発揮し、長年にわたって民間の側から様々な活動を展開していた。

昭和58年の街づくりの提案が注目を集め、翌59年にこのメンバーを中心とした遠野コミュニティ・マート構想プロジェクト委員会が発足し翌60年の遠野市HOPE計画をはじめ様々な成果を積み重ねている。現在も中心市街地活性化の応援団として期待されていた。

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2007年5月23日 (水)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市6)

活性化のための事業

潤い溢れる落ち着いた街並み整備、

民俗文化の活用による個店の開発活動、

商店街の賑わいを創り出す街並み整備、

中心市街地の商店街街区ごとの機能強化、

意欲に満ちた商業者「新遠野町衆」の台頭の促進、

ふれあいと交流を促進する中心市街地の機能の拡充

といった目標を実現するために、様々な事業を展開していた。

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2007年5月22日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市5)

計画の特徴

中心市街地のマチ資源とムラ資源を活かしたいと考えていたが、マチ資源とは、「とおの昔話村」、遠野市立博物館、鍋倉城址、「田の字」型の整備された街路空間、城下町としてのたたずまい、遠野三山に囲まれた盆地空間、並びに祭事や催事であり賑わいである。

また、ムラ資源とは遠野物語の河童や馬などの民話などである。

このムラ資源を中心市街地に活かし民話の里としてのアイデンティティをアピールすることが大切であるとしている。

そこで、遠野市は民話の里をイメージにゆったりとした街並が行き交う人々に安らぎを与えることと、「人(高齢者)と環境に優しい」街づくりを目指すとしていた。

また、商店街を形成する遠野の街区構成は遠野駅を中心に四角い回廊を形成しており、これからは一つ一つの街区(回廊)を魅力づけることにより中心街の回遊性を高めるとして、イメージコンセプトを「人にやさしい遠野コリドール」としていた。

そして、そのためにも

1)魅力的な商店街づくりを促進する、

2)環境整備の推進を促進する、

3)観光と商業施設の一体的整備の推進、

4)観光と生活環境が調和して賑わいを創出する商業空間の推進としていた。

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2007年5月21日 (月)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市4)

計画の基本的方向

中心市街地活性化基本計画を策定するにあたっては、

1)都市機能を充実し、賑わいが創出される街づくり、

2)民話の里として観光と消費者の生活ニーズに合致した街づくり、

3)市内に存在する生活者が愛着を持ち、自信を持って生活拠点とできる街づくり

の3項目を重点に、各種事業を一体的に推進する考えであった。

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2007年5月20日 (日)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市3)

計画策定のきっかけと経緯

遠野市では、平成9年秋頃という早い時期から中心市街地活性化法の動きをつかみ、中心市街地活性化基本計画を法律制定前から検討していた。

国は当初は10万人程度の人口規模の都市を対象としていた面があり、遠野市の人口は約2万8千人と想定より小さな都市であるため、そのあたりの調整にも努めていた。

遠野市では昭和59年の「コミュニティーマート構想事業」など、様々なまちづくりの計画をしていたが、その集大成として中心市街地活性化基本計画を位置づけた。

既存の計画を整理するだけで基本計画を策定できる環境にあったため基本計画は市が自主財源50万円で策定し、TMO構想も商工会が自己負担100万円で策定した。

ちなみに、基本計画策定においてはタウンマネージャーの派遣を活用している。計画策定においては委員会を4回、若手からなるワーキングを5回行った。両方に出席するメンバーもおり、その人たちが調整に入った。

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2007年5月19日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市2)

当時の状況

遠野市には先人が積み上げてきた商業の歴史がある。古くは一万二千石の城下町であり、内陸と沿岸を結ぶ宿場町として「1・6市日に馬3千」など、当時の賑わいが記録されている。

しかし、交通網の発達とともにその面影はなくなり、商業従業者の高齢化や消費者ニーズに対する商業サイドの遅れ、商店街に駐車場が設けにくい条件、市民生活のモータリゼーション化にともなう大型店や郊外店の購買力吸収など、内部、外部の衰退要因に対し中心市街地の商業は大きな変革が迫られている。

遠野市の中心街には、市役所と市民センター、遠野市立博物館、とおの昔話村などがあり、遠野駅からこれらの施設へ通じる道筋に中心商店街が形成されており、遠野南部神社と大工町通り裏側の寺社群は市民の精神生活の支えでもある。

商店数は約130で、市内商店数の36%を占めているが、バイパスの開通に伴いロードサイド店の進出が目立ち空洞化が進展していた。

位置及び区域(旧法)
遠野市の中心市街地は遠野駅を起点として、南部に田の字型の構成の一日市通り及び上組町、石町、穀町通りで囲まれた区域。面積は約 41 haとなっていた。

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2007年5月18日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり岩手県遠野市1)

遠野市の概要(旧法の取り組みをはじめた頃)

遠野市は、岩手県の東南部に位置し、面積は660.38k㎡であり、人口は約2万8千人となっている。遠野市の基幹産業は農業となっており、就業者の約25%を占めている。

遠野市は、自然や風土を大切にした全国でも有名な「民話のふるさと遠野」として知られ、多くの「遠野物語」にゆかりの深い観光施設が市内各所にあるが、冬場の観光客が少ないことから四季を通じて観光客を誘致しようとしている。

中心部は他の都市と同様、空洞化が進み、往時の交易のにぎわう街づくりが課題となってきた。

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2007年5月17日 (木)

長崎の寸劇、御白洲

長崎歴史文化博物館で、毎週末、地元ボランティアによる寸劇「長崎奉行所立山役所・御白洲」が演じられている。

私も、以前、観て演じた。

演じたというのは、観客も演じることが求められるからである。

奉行がお見えになる。

「皆のもの、お奉行さまの御前であるぞ、ひかえおろー。」

と言われ、

皆で、

「ははー」

と時代劇のように頭を下げる。

江戸時代の長崎ならではの寸劇で、密貿易者や流れ者などのお裁きの様子を再現している。

まさに、地域ぐるみの生きた展示であり、まちなかにある郷土資料館なども、こんなふうだともっと面白くなるのだが。

Img_2140

長崎歴史文化博物館で撮影。

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2007年5月16日 (水)

都市のお店と田舎のお店

田舎には、地域ぐるみの共同店がある。

今でも島の共同店などは元気である。

生活にお店が不可欠で、共同店がないと生活が成り立たない。

だから、皆で支えている。

共同店は、ずっと前から続いているコミュニティビジネスといっていいだろう。

一方、都市のお店が生き残っていくためには、差別化が必要である。

他にもお店はいっぱいあるので、何か特徴を打ち出さなければならない。

今、地方は都市と田舎の中間で、どっちつかず。

同じ商店街で、一緒に支え合いながら、競争もしなければならない。

このあたりのさじ加減がなかなかむずかしい。

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2007年5月15日 (火)

中心市街地活性化基本計画の認定状況

認定された中心市街地活性化基本計画は、今のところは富山県富山市と青森県青森市の2件にとどまっている。(平成19年2月8日に認定)

そのほかにも、石川県金沢市、岐阜県岐阜市、東京都府中市、岩手県久慈市、長野県長野市、山口県山口市、香川県高松市、大分県豊後高田市、熊本県八代市、熊本県熊本市、宮崎県宮崎市の11件の申請があると聞いた。

みるとそのほとんどが、県庁所在地である。

市町村合併があったばかりで、中心市街地がどこなのか、そのコンセンサスがとりにくいことなどがあるのだろうが、この申請の様子をみると、旧TMOの苦悩が伝わってくるようである。

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2007年5月14日 (月)

中心市街地活性化協議会(平成19年4月)

平成19年度に設立された協議会

19年4月

鳥取市中心市街地活性化協議会 平成19年4月1日
甲府市中心市街地活性化協議会 平成19年4月13日
浜松市中心市街地活性化協議会 平成19年4月26日

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中心市街地活性化協議会(平成19年3月)

平成19年3月

宝塚市中心市街地活性化協議会 平成19年3月19日
奈良市中心市街地活性化協議会 平成19年3月26日
大田原市中心市街地活性化協議会 平成19年3月28日
新潟市中心市街地活性化協議会 平成19年3月30日

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中心市街地活性化協議会(平成19年2月)

平成19年2月

利府町中心市街地活性化協議会 平成19年2月6日
宮崎市中心市街地活性化協議会 平成19年2月8日
会津若松市中心市街地活性化協議会 平成19年2月21日
富良野市中心市街地活性化協議会 平成19年2月21日
小樽市中心市街地活性化協議会 平成19年2月26日
伊丹市中心市街地活性化協議会 平成19年2月27日

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中心市街地活性化協議会(平成19年1月)

平成19年1月

掛川市中心市街地活性化協議会 平成19年1月15日
伊賀市中心市街地活性化協議会 平成19年1月17日
柏市中心市街地活性化協議会 平成19年1月19日
福知山市中心市街地活性化協議会 平成19年1月19日
盛岡市中心市街地活性化協議会 平成19年1月23日
福井市中心市街地活性化協議会 平成19年1月23日
金沢市中心市街地活性化協議会 平成19年1月29日

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中心市街地活性化を図るための基本的な方針

中心市街地における都市機能の増進及び経済活力の向上を総合的かつ一体的に推進するための基本方針

平成18年9月8日に閣議決定

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中心市街地活性化に関する法律・施行令

中心市街地活性化に関する法律のリンク

中心市街地の活性化に関する法律

中心市街地の活性化に関する法律施行令

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2007年5月13日 (日)

ご当地ソング、似顔絵マップ

地域のテーマソングが各地にある。

また、街並みや商店主の似顔絵などを描いたガイドマップや手作りカレンダーなども目にすることがある。

地域の子供達が作成した力作である。

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2007年5月12日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市14)

当時の課題と方向性

 2001年にオープンする「石ノ森萬画館(仮称)」をいかに中心市街地と関連づけていくかが重要であるといわれていた。

そのためには、マンガのまちづくりを担う市民の意思統一を図る必要があるが、人口12万人を抱える位置の石巻市では住民の意見は多様な面もある。

マンガのキャラクター像やレリーフを設置し、中心市街地に漫画的色彩を演出するマンガロード整備事業、そしてマンガキャラクターを用いた個店と商店街のマーケティング活動を支援する「一店一品運動」などの展開には

マンガに対するコンセンサスづくりが不可欠

であった。

 商業と水産と観光が一体となったまちづくりを推進していくなかで、商業者とその他の職業との異業種ネットワークをつくりながら、マンガを活かした街づくりのコンセンサスづくりをおこなっていくことが求められていた。

また、宮城県中田町などの他のマンガを活かしたまちづくりの自治体とも連携するなど、海都ロマンを創造しようとしている石巻市であった。

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2007年5月11日 (金)

中心市街地活性化協議会(平成18年12月)

平成18年の12月に中心市街地活性化協議会を設立した地域
滝川市中心市街地活性化協議会 12月4日
松江市中心市街地活性化協議会 12月7日
八代市中心市街地活性化協議会 12月19日
高岡市中心市街地活性化協議会 12月21日
丹波市中心市街地活性化協議会 12月25日
熊本市中心市街地活性化協議会 12月26日
久慈市中心市街地活性化協議会 12月28日

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市13)

事業推進で苦労した点及び成功要因

石巻市には「21石会」、「地元の民話をマンガで伝える会」「マンガランド構想をみんなで広げる会(広げる会)」など、多くの街づくりを推進する実験型NPOがあってその活動は活発であった。

また、行政主催の「夢のある街づくり基本構想策定懇談会」なども開催され、市民活動の意見をくみ取る仕組みをもっていた。

さらには、マンガジャパン(会員約100名を有するストーリー漫画家の親睦団体)との協力関係もできており、これらの人的ネットワークが石巻市のマンガを活かした街づくりを推進する要因といえる。

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中心市街地活性化協議会(平成18年10月、11月)

平成18年10月と11月に設置された中心市街地活性化協議会

豊後高田市中心市街地活性化協議会 (10月2日)
豊田市中心市街地活性化協議会 (10月10日)
砂川市中心市街地活性化協議会 (10月17日)

11月

高松市中心市街地活性化協議会 (11月14日)
神戸・新長田中心市街地活性化協議会 (11月20日)
青森市中心市街地活性化協議会 (11月24日)
出雲市中心市街地(東部都市拠点地区)活性化協議会 (11月28日)

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2007年5月10日 (木)

中心市街地活性化協議会(平成18年8月、9月)

平成18年8月と9月、最初に中心市街地活性化協議会を設立した地域。

8月

岐阜市中心市街地活性化協議会 (8月22日)
富山市中心市街地活性化協議会 (8月30日)
久留米市中心市街地活性化協議会 (8月30日)

9月

出雲市中心市街地(中核都市拠点地区)活性化協議会(9月19日)
山口市中心市街地活性化協議会 (9月25日)
長野市中心市街地活性化協議会 (9月27日)
和歌山市中心市街地活性化協議会 (9月29日)

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市12)

墨汁一滴及び国際協力ショップしえろあすーる

石巻では市民のまちづくり活動が活発であり、現在はこれらの自主的な活動が中心市街地活性化に大きな役割を果たしている。

例えば、広げる会の活動拠点である喫茶店兼マンガグッズ販売の「墨汁一滴」は、現在のところ人件費を抑える必要から週末だけの営業となっているが、マンガを活かした街づくりの情報発信基地の機能を担っている。

また、「国際協力ショップしえろあすーる」は発展途上国などの商品を扱う国際協力ショップでありNGOの活動拠点ともなっていた。

まさにNPO的な発想が広がりを見せはじめており、多くの人々を呼び集めて温かいもてなしの心で交流するロマン溢れるまちづくりの原点という感じであった。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市10)

マンガポケットパーク整備事業

市とTMOが事業主体となり、マンガキャラクターのモニュメントを設置し、来街者の集客のポイントとすると共に、地域住民の安らぎの場を確保する。

 既に駅前通りと立町通りの角地に整備されている萬画ポケットパークは、広げる会の提案により交番の跡地を県と市の土木関連事業で整備したものであった。

ちなみに、009のモニュメントには約200万円がかかっているが、このモニュメントのインパクトは大きな面があり、市民がマンガを活かしたまちづくりにを知るきっかけとなってもいた。

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2007年5月 9日 (水)

中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市9)

マンガを活用した石巻市中心市街地情報システム開発事業

平成11年度に中心市街地等情報システム開発事業を実施、平成12年9月にはシステム開発が完了する予定であった。

事業費は、総額1億2100万円となっている。

中心市街地活性化基本計画に位置づけられる様々な施策と連携を図りながら、情報通信技術を活用して中心市街地の活性化実現をめざしている。

開発の基本方針は、

1)マンガというテーマで石巻市中心市街地の個性を確立し、マスメディアやインターネットを利用した情報発信により全国的な知名度向上をはかる、

2)地域密着型の商業サービスを実現し、郊外等に流れている顧客を取り戻す、

3)マンガを活用しインターネット上で広域的に展開し、石巻ファンをつくることにより、新たなバーチャル商圏の確立や人々が実際に石巻を訪れる契機づくりを行い、バーチャルとリアル両面での集客拡大を目指すとしている。

 石巻中心市街地をモチーフとした3次元のコンピューターグラフィクス空間を形成して店舗の紹介などをすると同時に、ホームページを開設しバーチャルモールでの商品の予約・注文などを行えるようにする。

また、ICカードシステムにより利用者の認証を行うことにより、利用に応じたポイントサービスの提供などを行っていく。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市8)

商業・サービス業集積関連施設整備事業

「マンガ的発想が人を呼ぶまちづくり」の中核施設として、「石ノ森萬画館(仮称)」を建設し中心市街地活性化の拠点とする計画であった。

(既に完成。)

市が建設し運営はTMOが行う計画であった。

当初は博物館としての計画であり、中心商店街との関係はほとんどなく商店街の人たちの関心も低かったが、中心市街地活性化基本計画を策定したことでマンガ館に商業・サービス業集積関連施設整備費補助金がつくなど、商店街との関係が深くなっていた。

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2007年5月 8日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市7)

事業推進体制

2001年夏の完成した「石ノ森萬画館(仮称)」。

その1年前の2000年夏にはTMOを設立する計画であった。

当初は99年4月のTMO設立を考えていたが、TMO構想の策定を通してTMOのあり方を検討し特定会社として設立する方向で詰めていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市6)

計画の特徴

 計画を特徴づけているのが石巻市のアイデンティティであった。

石巻市では、

1)マンガによる活性化を図ろうとする市民運動の盛り上がり、

2)水産都市のイメージ、

3)北上川を中心とした歴史・文化

の3点を石巻のアイデンティティとしてあげていた。

また、中心市街地活性化のための地域資源として、マンガに関連する人のネットワークやイベント、蒲鉾やたらこなどの水産関連の名産品などの食に関するもの、及びサン・ファン・パークや旧石巻ハリストス正教会などの歴史・文化的なものであるとしていた。

 確かに、石巻市は歴史の上で数々の挑戦と冒険を行った人物を輩出したまちであり、そういった意味においてまさにマンガチックな夢とロマンにあふれ、マンガ的発想を持った先人たちが活躍したまちである。

中心市街地活性化基本計画(旧法)は、このような歴史に裏付けられたマンガ的発想によって、かつての繁栄を取り戻そうとする挑戦なのである。

このような視点から、テーマを「浪漫商都ルネッサンス」、理念を「マンガ的発想が人を呼ぶ街づくり」としている。

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2007年5月 7日 (月)

本気に宣言

何かをやらなければならない時、宣言をしてしまう地域がある。

すると、もう後戻りできないので、がんばることになる。

例えば、かつて愛知県碧南市では「あつまりんへきなん共和国」の建国宣言をした。

「昭和の街」、「映画の街」などテーマを決めて、まずは宣言をしてしまう。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市5)

基本的な方向

中心市街地の来街者を増やすために、来街目的となるような魅力的な3つの「核」と来街者が歩くコリドー(小路)である4つの「軸」を整備するとしている。

核とは、来街者にとっての目的ゾーンであり、面的にコンパクトな範囲に核としての機能・施設を集約させる来街者の吸収のポイントである。

また、軸とは来街者にとっての回遊の軸となるコリドー(小路)として歩く楽しさづくりを進めるものである。

マンガロード化やバリアフリー化により、楽しく安心して歩ける基盤づくりを進めようとしている。

整然とした「通路」ではなくポケットパークの整備や細道街路及び脇道等の演出により、人の流れの滞留や逆流、そして横方向へのにじみ出しのある雑踏性を演出する方針である。

 また、市街地の整備改善の方針としては、

1)マンガの活用により「歩く楽しさ」を演出する、

2)長期的視野にたった道路・堤防の整備、

3)古き良き時代のまち並みの復興、

4)集客の「核」の形成と交流の促進、

5)人にやさしい憩いのまちづくり、

6)民間事業者の活力の活用をあげていた。

 そして、商業活性化事業の方針として、

1)魅力ある商業拠点の整備による来街者数の増加、

2)イベントの強化による集客力の向上、

3)マンガキャラクターの活用による個店の収益力アップ、

4)充実した機能をもつTMO、

5)都市型新事業の育成、

6)国際感覚で「夢のある街づくり」をあげていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市4)

計画策定のきっかけと経緯

 平成6年の「石巻市中心商業地再生基本計画策定調査」など、これまでも石巻市では中心市街地活性化に関する計画を策定してきており、平成9年には「石巻市中心市街地賑わい連絡会議」が、マンガをイメージした中心市街地の将来像を提言している。

石巻市はそれ以前からマンガを活かしたまちづくりを推進してきている。

平成7年、石巻市の「岡田劇場」(当時の岡田座)に子供の頃映画を見に来ていたという石ノ森章太郎氏、マンガジャパンのH氏、及び当時の石巻市長が出会ったことから「マンガを活かした夢ある街づくり」が始まったと聞いた。

そして、平成9年7月「いしのまき マンガバンク」がオープンし、ミニイベントとして「店主が選ぶマンガ絵コンクール」などが開催され、商店街とマンガとの関わりが次第につくられていった。

平成10年4月には「マンガランド構想をみんなで広げる会(広げる会)」の活動拠点である喫茶店兼マンガグッズ販売の「墨汁一滴・ギャラリーM」がオープンしている。

このように、石巻市は自然なかたちでマンガを活かした中心市街地活性基本計画を策定さてた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市3)

位置及び区域(旧法)

中心市街地の位置及び区域は、中心市街地活性化法の要件や石巻市の歴史・文化、商業集積度等からポテンシャルの高い地域とし、石巻駅東南部の商業地域に中瀬地区を加えた範囲とていた。

穀町地区は商業地域と第二種住居地域、立町・中央・鋳銭場・千石町地区は商業地域、及び中瀬地区は近隣商業地域と第二種住居地域となっている。面積は約 50.3 haである。

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2007年5月 6日 (日)

中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市2)

当時の状況

  中心市街地の範囲には石巻市全体の人口の2.4%が居住し、商業活動の約2割が集積している。

また、周辺の9町を含む石巻広域圏の中心地域ともなっている。

しかし、中心市街地の趨勢の状況は定住人口、交流人口、商業のいずれも大きく減少しており、商業に関しては、店舗数が11%減少、従業員数が13%減少、年間販売額は7%減少、売場面積は23%減少していた。

特に歩行者交通量は激減しており、経済活動の維持に支障が生じるおそれがでていた。

また、市街地整備の問題点として、1)小規模駐車場が分散して分かりにくく入りにくいため買い物客に不便である、2)狭隘な道路が多く中心部に入りにくい、3)アミューズメント機能が不足しているなどがあげられいた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり宮城県石巻市1)

石巻市~ロマン海都~(取り組み当時、平成12年頃の様子)

宮城県北東部にあって太平洋に面し,旧北上川の河口に位置する面積 136.73 k㎡,人口約121,000 人の都市である。

就業人口構成は,漁業,工業,商業がバランスよく発展しており産業の多様性に富んでいる。

古くから水産業や石巻圏域の工業の中心都市として発展してきた。

特に,食料品・飼料・木材・パルブ・紙等の素材型製造業が主流であり,その出荷額が低落傾向にあるところから,本市産業に大きな影響を与えている。

一方、観光面では、「ロマン海都・石巻」のキャッチフレーズのもと、海と食および歴史文化をテーマとした集客が図られてきた。

「復元船サン・ファン・バウティスタ」のメモリアルであるサン・ファン・パークの完成後は観光入り込み客数は約130万人に上っている。

また、石ノ森章太郎氏ゆかりの地であることから、マンガランド構想が出され、市民運動として盛り上がるなど、「マンガの石巻」という新しい面を見せ始めている。

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商店街スタンプラリー

商店街でパスポートを発行しスタンプラリーをする例もある。

それぞれのお店で個性的なスタンプをつくったりしている。

スタンプラリーはありきたりだが、博覧会のパビリオン巡りなどは、パビリオンに行くことよりもスタンプを押すことが目的になっていたりする。

根強い人気である。

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2007年5月 5日 (土)

まちなか温泉

温泉は集客力のある地域資源なので、最近は街の中心で温泉に入る機会が増えた。

昔は銭湯が地域住民のコミュニティーの場となっていたのだが、まちなか温泉も人気がある。

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昆虫館

昆虫の館は男の子に人気がある。

商店街でカブトムシの館やクワガタの館、さらにはホタルの館などを見たことがある。

運営はなかなか大変なようではあるのだが。

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2007年5月 4日 (金)

中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市13)

事業推進で苦労話した点及び成功要因

小松市は行政に行動力があり、全国でもいち早くまちづくり会社「(株)こまつ賑わいセンター」を設立しTMOに認定している。

したがって、今後市民をどのように巻き込んでいくのかが重要な課題ともいえ、今後の行政手腕に期待がかかっている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市12)

「インポートフェア石川’99in小松」の開催

空港のある街として市の顔のPRも兼ね、小松空港の通関量の増大とインポート商品の普及促進を目的に毎年インポートフェアを開催している。

このインポートフェアを中心商店街において継続開催することにより、相乗効果によって賑わいの復活と空港を利用した魅力ある街づくりをすすめている。

小松中心商店街で、さらに多くの商店がインポート商品を扱い、他地域との一層の差別化を図っていく計画である。ジェトロサンプル展などに加えて、商店街内業者によるインポート商品の販売などもおこなった。フェア開催の事業費は約4500万円と大規模なものとなっている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市11)

中心商店街パブリシティー(瓦版)事業

中心商店街やTMOの活動状況を市内全課程に配布し市民への周知を図り理解と協力を得る事業である。

TMWS(TMOワークショップ)の開催

タウンマネージャー派遣事業を活用し、タウンマネージャーと商店街以外の若い人によるTMO構想の具体化のためのワークショップを開催している。月二回の開催で、メンバーは約30名である。

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2007年5月 3日 (木)

中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市10)

チャレンジショップ設置事業

若手経営者の育成、商店街の顔づくりによる話題の提供などを目的としてTMOの事務所前の空き店舗を活用する計画で、平成12年度4月のオープンを目指している。

事業費は1000万円で補助率は県が1/3、市が1/3、TMOが1/3となっている。現在、TMOが企画、設計、募集要項の作成などをしている。

チャレンジショップの業種は商店街の業種にかぶらないようにする必要があるが、現在は雑貨などが候補としてあがっている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市9)

エコフェスタの開催

99年11月14日にエコフェスタを開催した。

お店の不要品で創るアート展(ジャンクアート展)、空き缶釣りなどのエコゲーム、市の林務水産課が原価で販売する「山里うまいもん市」、民間企業によるエコ自動車の展示など盛りだくさんの催しであった。

エコをテーマとするアイデアはTMOワークショップででてきたものである。開催経費は約20万円である。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市8)

石川県活性化モデル商店街支援事業

イベント等による商店街の顔づくり事業、モデル店舗設置事業、商度アップ事業(空き店舗対策)を推進している。

事業費は単年度で5000万円であるが、平成10年から12年までの3カ年事業となっている。

商店街事業の場合の補助率は県が1/3,市が1/3、商店街が1/3であり、個店事業の場合の補助率は県が1/4、市が1/4、個店が1/2となっている。

平成10年度は商度アップ推進事業で輸入雑貨販売店「BRAIN]の設置と「ボクシングジム」の設置、モデル店舗設置事業でブティック「シック」、名産品店「すみげん」、並びに化粧品店「かじ永久堂」のリニューアルをおこなった。

また、11年度にはモデル店舗設置事業で「マサキ化粧品店」、メガネ店「金光堂」をリニューアルした。

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2007年5月 2日 (水)

東京の真ん中はどこ?

東京の真ん中はどこかと質問すると、様々な答えが返ってくる。

まずは、皇居である。

千代田区1丁目1番地は、皇居である。

そのほかにも、東京(駅)、大手町、日本橋、銀座、渋谷、新宿、池袋、浅草、神田、お茶の水、霞ヶ関、青山、赤坂、六本木、などなど、様々な回答がある。

ちなみに、私が描くイメージはというと、東京の真ん中は神田神保町からお茶の水あたりにかけてである。

ところで、中心市街地活性化でよく問題になるのは、どこが中心市街地かということである。

特に、合併市町村などは、中にいくつもの中心市街地があって困ってしまう。

しかし、市街地の経済の中心は時代が変われば、移ろうものであるが、時の流れに負けないまちの中心というものがある。

東京の場合、それは、将門塚(しょうもんづか)であろう。

京の都ではねられた平将門の首が飛んできたといわれている首塚である。

平将門の霊力はすさまじく、この塚の移転を企てるものには次々と禍が及ぶという。

だから、いまでも将門塚はそこにある。

番地は、千代田区大手町1丁目1番1号である。

ちなみに、江戸城(現在の皇居)も、この将門塚をもとに風水でその位置をきめたと、確か、宮元健次氏が「神社の系譜」に記されていたように記憶している。

だから、東京の中心は将門塚であるといっていいのではないかと思うし、平将門を祀る神田明神(神田神社ともいう。現在は、お茶の水駅の近く千代田区外神田にある)あたり一体が東京の真ん中だろうと考えている。

「中心市街地はどこでしょうか?」

そんな質問に、「現在の経済的な中心だけを考えずに、歴史を遡って街の顔を決めたらどうでしょうか?」などと話している。

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平将門を祀る神田明神。

写真は数年前の神田祭の様子。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市7)

事業推進体制(当時)

平成10年10月に株式会社こまつ賑わいセンターを資本金2000万円で設立し、TMOに認定している。

同社の社長に市の助役が就任するなど、行政の関与が大きくなっている。

現在の事務所は市が空き店舗を取得し、中心商店街町づくり推進総室を設置しその中にTMOが同居している。

また、市はその一部を小松商工会議所にアンテナショップとして年間35万円で賃貸している。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市6)

計画の特徴

中心市街地の寺、蔵などの歴史・文化や都市施設をマグネット化することにより、集客及び回遊性を高めることに主眼を置いている。

市民アンケート調査結果及び地元商業者の意見が反映にとつとめた。特に、小松駅周辺整備事業が概ね15年度に完了するため、 5年以内に着手する事業を優先的に位置づけた計画となっている。

 そして、基本理念(コンセプト)に「歴史・文化の風薫る~楽優回廊こまつ~」を掲げている。

小松市は南加賀における経済・文化の中心的役割が期待されている都市であり、中心市街地は歴史的にも市民の意識の中でも「まちの顔」である。

このため「住む人、訪れる人が楽しく集い、交流し、優しくふれあうまち」をめざしている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市5)

計画の基本的な方向

中心市街地活性化に向けての課題としては、

1)中心商店街を支える近隣商圏の新たな形成、

2)商業集積地間競争時代の中心商店街の再構築、

3)中心市街地の求心構造の強化があげられる。

また、基本方針としては、

1)都市機能ミックスにより中心市街地の人・モノ・情報の集積・交流機能拠点性を高め、 南加賀地域の中心都市にふさわしいまちの「顔づくり」を進めることにより、賑わいのある中心市街地を再生する、

2)中心市街地の歴史 ・文化的資源 ・人材を活用し、「文化の薫るふれあいの場 ・みち」を整備し、子供からお年寄りまでが回遊したくなる市街地を構築する、

3)中心市街地の利便性を活かし、健康、福祉サービス機能等の導入による居住環境を整備し、新たな地域コミュニティを創造するとしている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市4)

計画策定のきっかけと経緯

小松市では中心市街地活性化法の施行にあわせて、平成10年4月に小松市経済部商業振興課中心商店街活性化対策室を中心商店街に設置した。

その後、中心商店街町づくり推進総室として組織を昇格させるなど行政が主体となって事業を推進し、基本計画とTMO構想を平成10年度に策定している。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市3)

位置及び区域

東側はJR北陸本線 (将来整備が予定されている小松駅高架下利用ゾーン1.4haを含む) 及び小松駅東土地区画整理事業区域、 北側は内環状として位置づけられている松任町 ・白江線及び松任町・向本折線と梯川までの根上 ・小松線の街路沿い、西側は丸の内 ・向本折線、 南側は石橋川及び内環状として位置づけられている大和 ・末広線で囲まれた区域である。

10商店街と大型店等の商業集積及びJR小松駅バスターミナル、 病院、銀行など高次都市機能が集積している区域であり、面積は約167haとなっている。

中心市街地は1)中心地区(中心商店街ゾーン)、2)JR沿線地区(文化・情報拠点ゾーン)、3)西地区(賑わい誘導ゾーン)、4)北地区(業務機能高度化ゾーン)、5)南地区(住宅ゾーン)、6)駅東地区(業務・研究ゾーン)に分けられるが、今後重点的に活性化を図る地区はJR沿線地区をメインとして中心地区及び駅東地区である。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市2)

取り組み当時の状況

 消費の低迷、大型量販店の出店による競争環境の激化、消費者ニーズの多様化等により中心市街地の空洞化が進んでいた。

中心市街地の居住人口は昭和40年の18,488人から平成7年の12,194人へと34.4%も減少し、産業活動についても昭和47年から平成8年までに全産業の事業所数が261件も減少していた。

また、公共公益施設も昭和30年代後半から昭和40年代にかけて郊外移転がすすみ、それに伴って、商店街の衰退も著しくなっていた。

商店数、従業者数、売場面積、販売額のいずれもが減少していた。

休日の中心商店街における通行量が昭和63年から平成10年にかけて約6割も減少するなど賑わいの喪失が危惧されていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり石川県小松市1)

中心市街地活性化に取り組み始めた頃の小松市(平成12年頃)

小松市は人口11万人、加賀平野のほぼ中心に位置し、総面積は371.13k㎡で南加賀広域圏の中心都市である。

小松空港、JR小松駅、北陸自動車道の小松I.Cがあり北陸交通の要として重要な役割を担っている。

現在の小松市の基礎、基盤が形成されたのは1576年若林長門が小松城を築城し、1634年に加賀3代藩主前田利常が同城に隠居したころで、織物や製陶などの産業が奨励され城下町として発展した。

また、茶道や華道も盛んであり、日本三大子供歌舞伎の一つとしても有名であり、町衆文化の街ともいえる。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市13)

事業推進で苦労した点及び成功要因

 川越の事業推進の成功要因は数多い。

まず、川越市のまちづくりは住民主体であることがあげられる。川越にはホンモノへのこだわりと商人としての気概があり、「町づくり規範」などの自主規制もつくられている。

また、商店街活性化を優先して、その結果として蔵を活かすという発想を持っていることも大きい。

ハードだけではなくむしろソフトに目を向けており、サツマイモを活かした商品開発なども行われている。

さらには、外部の専門家などとのネットワークをもっていて情報量が多く、まちづくりの検討にあたっても決して商店街の内部メンバーだけで閉じることはない。

常に広く外部からの意見を採り入れて、その実践においては関係機関や行政などとのパートナーシップを重んじ、支援システムを柔軟につくりあげている。

そしてなにより、常に危機感を持ち「町づくりに完成はない」としてたゆまぬ努力をしている姿勢が川越市のまちづくりを成功へと導いているといえよう。

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2007年5月 1日 (火)

中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市12)

市街地の整備改善のための事業

5つの地区において様々な事業が予定されているが、特に都市計画道路(市内循環線、東京川越線、三田城下橋線)の整備の遅れを取り戻すこととしている。

また、川越市駅には駅前広場がなく大型の路線バスの乗り入れが困難な状況にあるが、この川越市駅東口の駅前広場整備を行い、バス路線を新設して川越駅への交通集中の分散化を進める計画である。

このように、川越市では交通渋滞の緩和などに向けて様々な市街地の整備改善のための事業が予定されている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市11)

伝統的建造物群保存地区指定及び景観形成地域指定

伝統的建造物群保存地区指定は、川越一番街における長年の懸案であった。

伝統的建造物群保存地区指定の動きは、昭和50年の文化財保護法の改正時まで遡るが、平成11年にようやく伝統的建造物群保存地区指定された。

なお近々、平成元年制定の都市景観条例に基づく景観形成地域指定により伝統的建造物群保存地区周辺を担保する予定である。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市10)

電線地中化

 川越一番街は昭和60年の「コミュニティマート構想」において電柱地中化が提案され、昭和63年に県地中化促進路線として要望し採択されている。

平成2年に「一番街電線地中化促進会議」の設立を経て平成3年から5年度にかけて事業を実施した。

間口の狭い商店街においてはトランス設置位置が問題となるが、自治会と市が主体となって、沿道設置が困難な部分については、背後地に設置位置を確保した。トランス設置位置は道路外の民地で、市が借地し東電が占用している。

街区内の道路は歴道事業と並行して半地下化をおこなった。

総事業費は7億5千万円で、内訳は行政(下水道、水道、信号機設置、舗装工事他)が3億5千万円、供給事業者(電気、電話、ガス、有線)が4億円の負担となっている。

電線地中化は民間協力による街並み形成の目に見える一つの実績となり、景観への意識の高まりにつながった。

現在は、銀座商店街振興組合が大正浪漫夢通りで電線地中化とモール化に取り組んでいる。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市9)

川越市文化財保存事業費補助金

市指定文化財の修理工事、管理工事については「川越市文化財保存事業費補助金」が適用される。

修理工事は保存事業費(外装、構造部等)の1/2以内となっている。一番街商店街の実績が全市の大半を占めており、同商店街が市内における歴史的町並み保存の先導的地域であることを物語っている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市8)

観光市街地形成事業及びまち並み改装事業

 「観光市街地形成事業」は、川越市が行う補助事業で、観光地における市街地の街並み整備のための店舗の表面改装を中心とする建物の修景など、私的スペースの整備または演出を対象としている。

補助額の上限は200万円(県が100万円、市が100万円)である。平成元年から5年度までは、「観光市街地形成事業」であったが、平成6年から10年までは「まち並み改装事業」として引き継がれている。

「観光市街地形成事業」は一番街商店街のみが対象となっていたが「まち並み改装事業」では銀座通り商店街も対象となっている。

補助額は店舗の表面の改装のうち補助対象経費の1/3以内、上限100万円となっている。なお、平成11年以降は伝統的建造物保存地区となっており、それに関連した制度で街並みの整備を行っていく予定である。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市7)

蔵の会」、「町並み委員会」及び「町づくり規範」

 「蔵の会」は、

1)住民が主体となった町づくり、

2)商業活性化による景観保存、

3)町並み保存のための財団形成を目標に昭和58年に発足した町づくり市民運動体であり、当初の会員数は80名であったが、現在は約200名となっている。

「蔵の会」のメンバーの1/3は地元若手商店主であるが、市外在住者の会員も多くなっている。広報渉外部、総務部、運営部、事業部より構成され、年一回の総会、月一回程度の例会がある他、各部会の会合も開かれている。

 また、「町づくり規範」は67項目からなる町づくりの原則集であり、都市計画に関する項目から建築の細部に至る項目まである。

罰則等のある規則とはことなり、あくまでも自主規定である。そして、「町並み委員会」はこの「町づくり規範」の理念と目標の達成を目指して、実地に検討する機関である。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市6)

事業推進体制

 川越市が現在TMOに期待しているのは各商店街の連携の土俵づくりである。川越商工会議所がTMOとなり、多様な組織や機関をうまく連携させて、商業を取り巻く緊急な課題に対する方向性を示して行くとしている。

 ただし、当面は川越商工会議所がTMOとしての機能を担っていくとしても、固定的な組織ではなく、めまぐるしく変化する社会・経済情勢にうまく対応できるような発展的な組織形成を図っていく。

川越のTMOに対する考え方は図の通りである。商工会議所がTMOになった場合、営利を目的としたことはできないことなどの問題もあり、将来的には「まちづくり会社」をつくってそれをTMOとしていきたいとしていた。

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2007年4月30日 (月)

中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市5)

計画の特徴

 中心市街地を「江戸、明治、大正、昭和、平成の5時代を快適に体験できるまち」とし、商業のコンセプトとしては3駅周辺を中心としてノイエシュタット(新しいまち)と、歴史的に中心市街地としての役割を担ってきた一番街をはじめとするアルトシュタット(歴史のまち、古いまち)との機能分担を明確にし、両者を有機的に結びつけることにより、互いによい効果をもたらすような方向を目指している。

 また、都市基盤整備の遅れにより交通渋滞を引き起こしており、商業の活性化にも影響がでており、その対策が必要となっている。

 特に、川越一番街には年間多くの観光客が来訪しており、通行車両が多いことから歩行者の安全確保に対する方策が必要となっている。

歩行者の安全確保については以前から問題点として指摘されてきたが、一方通行などを巡って意見が分かれるためにあえて議題に挙げずに棚上げとすることで事業を推進してきた経緯があり、最近ようやく川越一番街が伝統的建造物群保存地区指定に指定されるなど、まちづくりは新たな段階に入ってきており、以前は棚上げにしていた歩行者の安全確保に向けての取り組みが始まった。

 そのためには、中心市街地の範囲を広くして中央通線の混雑の原因の一つである川越市の都市計画道路(市内循環線、東京川越線、三田城下橋線)の整備の遅れを取り戻し、中心市街地の都市計画道路の整備を図って川越一番街などに通過型の車が入ってこないようする必要があるのである。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市4)

計画の基本的方向

 基本的方針として「自然と歴史を生かし、市民がいきいきと、新しい暮らしを創造するまち」を掲げている。

また、一体的推進の目標を、

1)「住と文化と職が共存・共生するまちづくり」、

2)「都市と集落が共存・共生するまちづくり」、

3)「歴史・自然と活力が共存・共生するまちづくり」としている。

 そして、川越商業活性化に向けての基本方針として、

1)自らの創意工夫など意欲ある商業者の育成・商業活動の支援、

2)川越らしさの徹底的追求と新しい環境に適応した商業環境づくり、

3)実効性のある計画づくりと事業支援、

4)川越中心市街地の交流機能の再編と文化・情報の発信、

5)様々な環境・要請に対応できるTMOへの発展を掲げている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市3)

計画策定のきっかけと経緯

川越市には、まちへこだわりを持ち続けるスピリットがあり、「まちづくりに完成はない」として様々な事業を展開してきた。

特に、川越一番街は自由な発想で意見を言える「蔵の会」や実現可能なものを実行に移す「商店街」、そしてそれを自主協定「町づくり規範」などによってチェックしアドバイスしていく「町並み委員会」などの連携によって全国の商店街活性化のモデルとまでいわれるようになっている。

 川越一番街は、県内最初の百貨店や銀行が立地するなど明治から大正まで中心商店街として栄えたが、織物業の衰退や鉄道の発達等により戦後は商業の重心が駅前へと移行し一時は衰退した。

その後、昭和46年に大沢家が国重要文化財に指定され、旧万文(現蔵造り資料館)の取り壊し反対運動なども起こり、徐々に街並みに対する意識が高まった。

そして、昭和60年の「コミュニティーマート構想」において商業の活性化と街並みの保存・形成が結びつき、まちづくり運動が具体化した。

そして、川越一番街のまちづくり運動が他の商店街を啓発し、川越市の中心市街地全域で様々な取り組みが始まっている。例えば、銀座商店街振興組合は「大正浪漫の町づくり」を推進しており、「朝市」などのソフト事業を行い、老朽したアーケードを撤去して個店整備を進めている。

 この様に川越市では、一番街コミュニティマート構想、商業近代化地域計画、川越駅西口周辺地区基本構想、本川越周辺地区再生計画、並びに中央通り地区再生計画など、今までにも中心市街地の個別地区において、まちづくりや商業活性化等の計画を策定してきた。

 そこで川越市はさらなる発展に向けて一体的に中心市街地全体の活性化をするためにこれらの計画を一つにまとめあげて中心市街地活性化基本計画(旧法)とした。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市2)

中心市街地の概要

平成6年の中心市街地の商店数は687店、従業者数は4,594人、年間販売額は112,936百万円となっている。

近年(平成12年頃)、店舗数にはほとんど変化がないものの、従業者数や年間販売額及び一店舗あたりの年間販売額は減少しており、特に川越中央通商店街などでは2~3割が空き店舗となっている。

また、人口の増加率(昭和62年~平成9年)をみると、市平均が10%程度であるのに対して中心市街地は-1.8%と微減傾向にあった。

位置及び区域

明治、大正、昭和の3時代にかけて、現在の一番街商店街、銀座商店街を中心に賑わいをみせてきたが、鉄道駅の開設に伴って川越駅・本川越駅の周辺も賑わっている。

このような理由から、川越市の中心市街地は、南北に細長く形成されており、面積も233.1haとかなりの広範囲となっていた。

中心市街地の範囲については、昭和63年の「川越地域商業近代化地域計画報告書」、平成8年度の「本川越駅周辺地区再生計画報告書」等の様々な計画において指定されたものとほぼ同じ範囲を指定している。

中心市街地は「川越市西口周辺地区」「川越市駅周辺地区」「川越駅・本川越駅東地区」「中央通り周辺地区」「歴史的町並み地区」と5つのゾーンに分けられるが、「歴史的町並み地区」を中心とするエリアをアルトシュタット(歴史と文化の香る街)とし、「川越駅・本川越駅東地区」及び「川越駅西口地区」を中心とするエリアをノイエシュタット(活気みなぎる街)としている。

また、「川越市駅周辺地区」及び「中央通り周辺地区」を中心とするエリアをノイエシュタットとアルトシュタットの結節点と位置づけていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり埼玉県川越市1)

改正前の中心市街地活性化法が施行された頃の状況です。

川越市は埼玉県の南西部に位置し、武蔵野台地の東北端に位置している。

室町時代中期に太田道真、道灌が築いた川越城の城下町として発展をしてきた。面積は109.16k㎡で人口は約32万6千人であり、都心から約30km、電車で約30分の距離に位置し、ベッドタウン的要素を多く持っているが、アイデンティティのある個性豊かなまちである。

というのも、江戸文化の歴史を今に残す希少な城下町と言われており、様々な面で密接に関係した江戸の影響を受けたことから「小江戸」とも呼ばれている。

また、第二次世界大戦の戦火から免れ神社・仏閣、蔵造り店舗、時の鐘など貴重な建造物が昔のまま残り、毎年380万人以上の観光客が訪れている。

その古い文化と伝統をもつ川越市も新しい時代への脱皮を図り、「近代都市川越」へと変わってきており、将来像として「自然歴史を生かし、市民がいきいきと、新しい暮らしを創造するまち」を掲げ、魅力ある都市造りを進めていた。 

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商店街学園祭

商店街を舞台にした学園祭が開催されている。

また、キャンパスを舞台に商店街のイベントを開催するケースもある。

商店街は商いの実践の場であり起業の場でもあるので、小学生の一日店長体験や高校生の起業塾の開設などが行われている。

そして、商店街も学生のためにラウンジを開設したりしている。

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2007年4月29日 (日)

中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市12)

事業推進で苦労した点及び成功要因

三鷹市は地域の現状をしっかりと見つめ行政主導で身の丈にあった事業を展開していた。

地理的、歴史的、文化的状況を十分に把握し、将来を見据えた「三鷹らしさ」にこだわっている。

また、時代とともに動けるスピードを身につけ、市民、企業、大学研究機関、自治体パートナーシップによる新しい事業展開を目指していた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市10)

三鷹駅前広場整備事業

市は三鷹駅前を公園都市のイメージにふさわしい高品位な駅前広場を拡充・整備していた。

事業対象面積は約8,000㎡である。

ペデストリアンデッキについてはスロープ、昇降装置を整備するとともに、にぎわいのある空間として位置づけていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市9)

SOHOパイロットオフィス実証実験事業

(財)三鷹市まちづくり公社は市内コア企業をはじめとする有志により設立された「SOHO CITY みたか推進協議会」の支援を得ながら平成10年12月に駅前の民間賃貸床を利用して、SOHOが入居できる賃貸ユニットと合わせて、秘書やコーディネーターが常駐しマッチングサービスや経営相談などを行う「SOHOパイロットオフィス」を整備し、15年度までの実証実験を行った。

SOHOの存在と業務床ニーズをアピールし、民間のSOHO向けオフィスの整備を誘導する呼び水としての役割を担っていた。

当時、年間で約3000人の視察があった。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市8)

さくら通り駐車場の管理運営事業

 三鷹市が都市基盤整備公団から借りた三鷹駅前の約4,600㎡の土地を、さくら通り駐車場として管理運営していた。

駐車場は月極が100台、時間貸しが40台であるが、この管理運営が(株)まちづくり三鷹の大きな収益源となっていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市7)

三鷹産業プラザ運営及び整備

平成12年4月にオープンする産業プラザは市内事業所や新規創業者向けの産業支援機能の拠点となるとともに、三鷹駅前の中心市街地活性化エリアにおける駐車場・駐輪場などの都市基盤施設、市民生活のサービス向上や市民交流活動施設などを複合的に整備し、地域経済活動だけでなく広く市民活動への支援を行う拠点となる。

産業プラザの建物本体は、中心市街地活性化法の都市型産業基盤施設整備事業として国の産業投資会計の出資を受けて地域振興整備公団が建設した。

この産業プラザを中心にSOHO支援サービスをはじめとする都市型の新しい産業の育成を行う。SOHOの集積による中心市街地の活性化を目指す。また、この施設に接して平成13年度以後、商業支援のための第二期工事を予定していた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市6)

資金調達及び事業推進の状況

TMO構想策定
三鷹商工会内にTMO構想等検討委員会を設置し検討した。

この報告を受けて(株)まちづくり三鷹が「TMO構想」を策定し三鷹市に提出し、(株)まちづくり三鷹は市の認定を受けてTMOになった。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市5)

事業推進体制

平成10年7月に役所内の横断的な組織である「三鷹市特別プロジェクト推進室」を発足し産業プラザの事前準備を進め、平成11年9月末には資本金2500万円の発起人設立で(株)まちづくり三鷹も設立した。

株式会社の方が柔軟な事業、迅速な判断ができると考えたのである。

TMOの認定は2000年4月頃を予定していた。

(株)まちづくり三鷹は平成12年度末までに(財)三鷹市まちづくり公社を統合する予定であった。

(株)まちづくり三鷹の事業は中心市街地エリア内での事業に限定せず、多岐にわたって実施する予定であった。

その全体事業の中で中心市街地エリア内の事業についてはTMOとして実施する考えである。

ちなみに、年間の事業収支は2億3,400万円と大規模であり、総務人件費の支出も年間で約2,300万円と大きかった。

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2007年4月28日 (土)

中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市4)

計画の基本的な方向

市街地整備については、土地の有効高度利用と面的整備による都市機能の集積及び都市基盤施設の充実を図るとしていた。

また、商業等の活性化については、「集客力の向上推進」、「ゆとり、魅力ある商業空間の整備促進」を図る計画であった。

計画の特徴

「高度情報都市」としての機能を充実させるため、中心市街地に都市型新事業、SOHOなど情報産業の集積を推進するとしていた。

都市型新事業の立地促進とSOHOに代表される情報産業の集積を図ることで「生活と産業が共生する都市づくり」を推進していた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市3)

計画策定のきっかけと経緯

平成10年には中心市街地活性化の計画づくりを行い、地域振興整備公団の事業として適用を受けた。

もともと三鷹市には平成8年3月に産業プラザの計画があったのでその計画を中心市街地活性化の中核に据えた。

「産業と生活が共生する都市づくり」をめざし、都市型産業の支援と振興を行っている。産業振興計画と再開発基本計画を合わせるようなかたちで中心市街地活性化基本計画を策定した。

高環境・高福祉のまちづくりを具現化するため、これまで各種行政計画等により位置付けられていた事業を中心に統合的に整理したもので、庁内外の横断的検討組織によって議論し策定した。

既存計画を作成する過程で関係者とのコンセンサスづくりはできており、基本計画の策定においてはそれらの関係者に報告をしながら作成することでコンセンサスづくりを行った。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市11)

中央通りモール化事業の推進

高品位な歩行者中心の道路空間として障害者や高齢者に配慮した道路環境とするとともに、ゆっくり安心して買い物ができるようモール化。

(株)まちづくり三鷹はこの計画で行政と民間のコーディネート役をはたしていた。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市2)

取り組み始めた頃の中心市街地の概要

市街地整備改善としては、三鷹駅前地区再開発基本計画による三鷹駅前広場の整備が進んでいるほか、区域内幹線道路の整備がまもなく本格化するが、全般的に道路網の整備、駐車場整備が遅れていた。

また、商業面では昭和38年に下層部が商業施設で上層部が公団住宅という当時としては珍しいスタイルの三鷹センター(ショッピングセンタービル)が開店し、駅前中央通りの完成とともに近代的商店街として注目を浴びたが、近年は隣接する吉祥寺の商業集積の影響、幹線道路である東京八王子道路周辺へのロードサイド店の集積による購買力の流出などが見られ、空き店舗も目立ってきていた。

そこで、市は商業者の主体的自発的な努力を中心としつつ再開発事業と商業振興の連携や買い物空間としての道路整備などに取り組んでいた。

位置及び区域

 
JR中央線三鷹駅南側の市街地で区域全体が商業地域となっていた。

面積は約 17 haである。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり東京都三鷹市1)

三鷹市の概要(平成12年頃、取り組みはじめた頃のこと)

三鷹市は人口約16万人、面積 16.50 k㎡、東京都のほぼ中央に位置し、区部に隣接する近郊住宅都市である。昭和5年の中央線三鷹駅開設、昭和8年の京王帝都井の頭線の開通などもあり、三鷹は農村から郊外住宅地へと変貌していった。

また、東京の都市的外延化や京浜工業地帯の拡充強化、日本経済の軍事化という流れの中で、三鷹は中島飛行機や日本無線電信電話(現、日本無線)などに代表される軍事工業都市という性格を持っていた。

これらの工場は、戦後に解体・縮小されるが、工業技術という点では優秀な技術者の輩出という遺産として継承され、機械加工や熱処理等の機械金属工業における基礎的汎用技術において地域工業の基礎的部分を形成している。

しかし、中規模工場を中心とした工場の流出、工場の約7割が住居系用途地域に立地し住工混在となっているなどの問題もあり、平成元年に分譲型の都市型工場アパート「三鷹ハイテクセンター」の建設支援、平成9年に賃貸型の都市型工場アパート「三鷹市牟礼研究開発センター」の建設支援などの事業を実施している。 

 また、昭和59年から61年には、高度情報化社会の到来にむけたINS実験にも参加し、キャプテンシステムを利用した地域行政サービスなどを実施した。

 それらを踏まえ、三鷹市は現在SOHOを集積・育成することによって地域全体の情報化を進め、新たな産業振興を目指す「SOHO CITY みたか 構想」を提唱している。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市10)

事業推進で苦労した点及び成功要因

市民参加のまちづくりの先駆けである、リンゴ並木を生んだ飯田市の気質と風土を反映し、TMOである(株)飯田まちづくりカンパニーは、まちづくり会社の理念である「市民や企業及び行政などが人、資金、そして知恵を出し合うこと」を大切にしている。

郊外の店ではできないことは何かを考え、行政との良好なパートナーシップのもと、市街地再開発事業においても新しい試みを様々な制度を調整しながら推進するなどしている。

リンゴ並木を生んだ飯田市の誇りとまちづくり会社の理念を大切にする心が事業推進の原動力となっている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市9)

蔵活用事業

リンゴ並木通りに面した市が所有する三棟続きの蔵「三連蔵」を単なる観光案内所ではなく、オープンカフェ、地ビールや生菓子などの地元の商品を扱う店、一定期間ごとに模様替えするアンテナショップなどを備えた施設として展開する計画である。

飯田のまちの歴史の記憶を留めるシンボル建築として蔵を保存し、市民の交流施設として活用するものである。この蔵のプランニングはTMOが行っているが、これは飯田市からコンサルティング業務の委託を受けたもので、TMOの収益源ともなっている

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市8)

イギリスのニックディビス氏を招いてのコンセンサス形成事業

中心市街地商業活性化基金(TMO基金)を活用し、コンセンサス形成事業を実施した。

総事業費は100万円であるが9/10補助があった。

イギリスのニックディビス氏にはTCMについて講演をしてもらった。

過去20年間の人形劇フェスティバルに世界的なフェスティバルを開催し、フランスのシャルルビルメジュールなどとの交流を重ねたことなどが、イギリスのニックディビス氏を招く国際性を育てているのである。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市7)

資金調達及び事業推進の状況1

橋南第一地区市街地再開発事業

中心市街地活性化の拠点づくりを目指し、商業機能の集積を高め、公益施設の導入を図るとともに定住人口の確保を図るため、良好な都市型住宅を供給することを目的としている。このため、再開発ビルは1階にスーパーマーケットを核店舗として、本町通り沿いに個店を配置することによって、連続的な商業空間の形成をめざしている。また、2階と3階には市の総合窓口業務等も導入する。そして、4階から10階は単身者やファミリー層、並びに高齢者に向けた多様な都市型住宅を導入する。本町通沿いの個店の入居促進などのために国の高度化無利子融資を検討している。庭の管理などの手間がなく、リンゴ並木を散策でき、動物園、病院、市役所も近いなど、高齢者にとって中心街は住みやすいところになっており、高齢者の中には中心街に住んでみたいという人も多い。また以前、店舗拡張のために住居を郊外に移した人たちが中心街に戻ろうともしている。これらの状況を踏まえ、居住人口を増やすことを重視し、生活(住宅)と交流(商業・イベント)と仕事(オフィス)等の都市型機能を合わせ持った安全で便利で快適な暮らしよい環境づくりを目指している。この再開発ビルをシルバーのための出張サービスの拠点などとしても位置づけることができ、21世紀型産業のインキュベーターとしての期待もかかっている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市6)

事業推進体制

平成10年8月に出資者5人、資本金1000万円で設立された株式会社飯田まちづくりカンパニーに対して、飯田市、商工会議所、地元企業、旧日本開発銀行、商業者、市民有志らが出資を行い第三セクターとし、平成11年8月に㈱飯田まちづくりカンパニーをTMOとして認定している。

現在は出資者40組、資本金は2億200万円となっている。

市の出資は3000万円と現在の出資比率は1/2以下となっている。日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)が2000万円を中小企業庁産業整備基盤基金から出資したが、同行は地元CATVに融資して経緯がありそれが縁で出資に至った。

宅建資格を持つ正社員などの給料や家賃などで30万円/月程度の固定費がかかるが、運営費は主に住宅販売とコンサルタント事業でまかなっていく予定である。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市5)

計画の特徴

飯田市として個性ある都市概念を確立し、中心市街地の衰退に歯止めをかけ、賑わいを創出すると共に、地方拠点都市にふさわしい新たな都市価値を創出するとしている。

そのために、中心市街地を一体的に再生し、商業者にとっても生活者にとっても暮らしやすい環境と基盤を築き、街中に定住者を呼び込むと同時に民間投資も呼び込めるよう、中心市街地のポテンシャルを高めていく計画である。

現在は、「街の機能再編」、「定住人口の増」、「商業の活性化」等による特色あるまちづくりを市民の手で行うという意識の中で、市街地再開発事業に取り組んでいる。 

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市4)

計画の基本的な方向

中心市街地の基本方針として、

1)多様化し高度化する消費・文化ニーズに対応した都市サービス機能の充実、

2)暮らしの場としての中心市街地の定住環境の整備、

3)歩行者にやさしい交通体系の確立と交通関連施設の整備、

4)地域の個性を活かした優れた都市景観の形成、

5)潤いのある都市環境の形成をあげている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市3)

中心街活性化に取り組んだきっかけと内容

平成2年頃より中心市街地での再開発事業計画が進む中、飯田にまちづくり会社を設置し、街の機能再編、定住人口の増加、商業の活性化による特色ある飯田のまちづくりをしようという声が高まり、中心市街地の再生を市民の手でという意識が広まってきた。

そして、市民の数々の勉強会を経て平成9年、再開発第1号である橋南第一地区の基本計画(基本設計)完了と共に街づくり会社設立構想が固まり、ついに平成10年8月に出資者5人、資本金1000万円で株式会社飯田まちづくりカンパニーが設立された。

まちづくりに対する市民の意欲が会社設立という形となったことで、飯田市も行政と企業等のパートナーシップを大切に、形骸化した仕組みにとらわれない今後の街づくり事業に向けての新しい取り組みに対して飯田市、商工会議所、地元企業、旧日本開発銀行、商業者、市民有志らが出資を行い第三セクターとし、平成11年8月に㈱飯田まちづくりカンパニーをTMOとして認定した。

平成10年度に基本計画を策定し、平成11年度にTMO構想を策定している。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市2)

中心市街地の概要

当時の状況

飯田市において「丘の上」と呼ばれる中心市街地は、かつては伊那谷一の魅力に富んだ繁華街として誇れるまちであった。

しかし、中心市街地を構成する橋南、橋北、東野の3地区の人口は平成9年度現在11,716人であり、昭和60年から平成7年の10年間の推移を見ると、3地区全体で約16%減少し、夜間人口の空洞化が進んでいる。また、高齢化率は、約28%になっている。

中心市街地の商業施設の市全体に占めるシェアは、商店数、販売額、従業員数、売り場面積の全てが長期低落傾向にある。周辺部と中心市街地を結ぶ都市計画道路も未整備であり、一般来街者用の駐車場は約800台分の駐車能力しかない。

位置及び区域 

天竜川の河岸段丘上に位置し、「丘の上」地区と呼ばれている。安土桃山時代の町割り以来の古い歴史を持ち、多くの商業、業務施設及び官公庁施設が集積している。飯田駅の玄関口でもある。面積は約100haとなっている。

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中心市街地活性化事例(ことの始まり長野県飯田市1)

飯田市の概要(合併前)

飯田市は長野県の南端、天竜川がおりなす伊那谷のほぼ中央に位置し、南信の中核都市である。

長野市及び松本市からは、それぞれ南へ約120㎞と80㎞、名古屋市からは北東に約110㎞の位置にある。

人口は、約10.8万人(平成10年10月1日現在)であり、広域市町村圏は1市3町14村で構成され、17.8万人の人口を擁する。平成5年には、「飯伊地域地方拠点都市地域」の指定を受け、飯伊地域における中核都市としての役割はますます重要性を高めている。面積は325k㎡である。

飯田市はリンゴ並木と人形劇フェスティバルで有名である。リンゴ並木は、飯田のまちをきれいなまちにしようと46年間かけて育ててきたもので、まちを愛そうという熱意のシンボルとなっている。

また、人形浄瑠璃を活かした人形劇カーニバルは、現在は人形劇フェスタと名称を変えてより民間主導のイベントになってきている。

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中心街活性化事例(旧:秋田県六郷町11)

事業推進で苦労した点及び成功要因

六郷町の基本計画には、清水という地域資源を核として誰もが理解しやすい具体的な計画づくりが盛り込まれている。

もちろん今までにも商業診断を実施するなど、様々な事業を展開してきたが、2つの拠点整備と回遊性のあるルート設定などの計画の骨子は、中心市街地活性化基本計画で初めて打ち出されたものである。

また、平成10年度に基本計画とTMO構想を同時に策定し、平成11年度にはまちづくり会社を設立している。

そういう意味で六郷町の動きは注目に値する。

これを可能にしたのは、清水を核としたわかりやすい計画づくりと同時に、基本計画とTMO構想策定の会議の場がまちづくりのステップとして明確に位置づけられ、会議後に町民が夜を徹して話し合ったことで、事業のコンセンサスづくりができたのだとも考えられる。

だからこそ、計画策定に参画した町民の多くがTMOの株主になったのではないだろうか。

また、六郷町では実績づくりを重視し、名水マップづくりなどのソフト事業を平成11年度にはスタートしている。そして、観光施設整備として以前から検討していたニテコ拠点整備をTMOの事業として実施し、名水サイダー(ニテコサイダー)の販売なども始めている。

このように様々な事業を矢継ぎ早に実施することでまちづくり会社に求心力がで生まれているようである。このようにできることからやっていくという行動力が大きな成功の要因といえるだろう。

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中心街活性化事例(旧:秋田県六郷町10)

資金調達及び事業推進の状況

ニテコサイダーの販売
六郷まちづくり株式会社(TMO)は仁手古清涼飲料合資会社と提携し、ニテコサイダーを販売している。その際、サイダーの瓶やラベルなどをレトロ調に刷新して観光客受けするように工夫している。町内はもとより近隣のホテルや売店などへの積極的な売り込みを行っている。

ニテコ拠点における食堂の経営
六郷まちづくり株式会社はその資本金を投資してニテコ拠点を整備し、食堂「ニテコ名水庵」を開店しその経営を行っている。

名水のネーミング募集及び名水マップの制作
平成11年度、TMO基金を活用し広域ソフト事業として「名水のネーミング募集」及び商店街の紹介をした「名水マップの制作」をしている。
名水のネーミング募集と名水マップの制作の合計事業予算は174万円となっている。内訳は自己負担金が110万円、TMO基金からの助成金が64万円である。

蔵周辺拠点整備事業
蔵周辺拠点には、飲食産業(和食・ラーメン専門店・名水喫茶)、市場(朝市・夕市・夜市・フリーマーケット、町民と近隣を対象に最寄り品を中心としたショップ)、物販(地場産品・清水にこだわったオリジナル商品)、交流施設(多目的ホール・ふれあい広場)などを整備する予定である。「本物手作りの店」「愛情のこもった料理づくり」「心のゆとり文化の創造」「製造販売と修理を一貫して行うこだわりのショップ」などをキーワードに、観光客と地元住民が気軽に立ち寄る「スーパーコンビニ酒蔵市場(仮称)」といった施設を目指している。清水(名水)と蔵(歴史的資源)に新たな地域資源(健康な名水料理)とエンターテイメント要素を組み合わせた施設とし、健康を大切にするシニアの情報交換の場であり、美味しいものを食べたいを満足してもらい、生活者の不自由を解決する商店街の拠点としていく。

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中心街活性化事例(旧:秋田県六郷町9)

事業推進体制

~特定会社「六郷まちづくり株式会社」を設立~

六郷町ではTMOとして特定会社「六郷まちづくり株式会社」を設立した。設立目的は「六郷町の中心市街地活性化を図るため、住民、行政、企業などの中心市街地に係わる様々な組織や個人の調整機関となり、中心市街地の活性化のための活動を、まちづくりの観点から総合的に企画調整し、必要に応じて自らが事業の実施を行うことによって特色ある中心市街地の活性化を図るために貢献すること」としている。町広報紙などでも出資者を公募し予想を上回る応募があった。公募は一口25万円(一株5万円)で募集した。その結果68人の町民から出資があり、町はその金額にあわせて同額の2500万円を出資し、資本金は5000万円となった。町としては出資を1/2として最も高い補助率とした。TMO設立準備委員会の事務局を商工会館におき設立準備にあたったが、設立後の現在もTMOの所在地は商工会館となっている。行政が1/2を出資しているが役員には助役が取締役になっているだけであり、事業の企画・運営は民間主導で行っている。六郷まちづくり株式会社は総務部、営業部、企画部の3つ部からなるが、それぞれの部では出資者が社員となって商工会館の会議室で連日会議を重ね、それぞれの事業展開を図っている。総務部では全体的な企画や補助金申請などの事務を行っている。また、営業部では特産品の開発と販売、農産品の加工及び生産物販売、ニテコ拠点の食堂経営、ニテコサイダーの販売、並びにイベントや販売戦略の企画調査を行っている。さらに、企画部では蔵周辺整備の設計から施設整備、並びに経営など、総合的な事業を展開する予定であり、現在はその計画づくりが主な業務となっている。TMOとしてのは専属の社員をおかずに固定費を下げている。

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中心街活性化事例(旧:秋田県六郷町8)

六郷の賑わいを取り戻すために、町民の財産である”清水”に着目し、観光客及び住民による町の賑わいの創出を目指している。

そのために清水を含んだ三つの回遊ルートを形成し、現在はバラバラになっている湧水群と商店街を散策道路(回遊ルート)によってつなげネットワーク化をはかろうというものである。

メインルートは六郷町のイメージキャラクターのユウちゃんロードとし、サブルートは寺町ロード、かけ唄ロードとする。

メインルートのユウちゃんロードには、ユウちゃんをデザインした案内サインや街灯などを設置し水と光と音を活かした演出を行う。ユウちゃんのキャラクターを最大限に活用して中心市街地を楽しい空間にしていく。また、ユウちゃんロードには、観光の拠点としてのニテコ拠点整備、観光客を商店街に誘導するためと地域住民のコミュニティの場としての蔵周辺整備の二つの拠点形成とその周辺商店街の整備を計画している。

回遊ルートの両端に2つの拠点を対置させることで、回遊性を創出し、住民や観光客などによる人の流れを町内に生み出していこうというものである。これは、六郷町のまちづくりの骨格の形成を意味している。

サブルートの寺町・かけ唄ロードは歴史や文化を感じるルートとし、花と緑により演出する「寺町ロード」は、六郷町の歴史や伝統を表象する寺町群を通るルートである。

一方、「かけ唄ロード」は郷土芸能のかけ唄を六郷町の文化として捉え、それらを演出するルートである。

この3ルートにより町の商店街のほぼ全域をルート化し、観光振興及び住民による中心商店街の活性化を図るものである。この計画の実施に当たり、TMO「六郷まちづくり株式会社」を設立し、民間の力を最大限に活用しながら事業を実施している。

ニテコ拠点では、ニテコ清水の価値をさらに広め、観光資源として有効活用をはかっていく。ニテコサイダーなどの付加価値の高い飲食を提供する観光客の休憩機能、売店機能、駐車場機能等の施設整備を図り、また蔵周辺拠点では、六郷町の伝統的産業である酒蔵の周辺を商店街のシンボルとして整備する。

歴史的遺産である酒蔵を利用した観光拠点、街の不足業種を補い「市」を復活させる産業活性化拠点、地域コミュニティーの醸成の場である交流拠点という3つの役割を持たせる計画である。

一方、湧水群の静水性に対して流れによる水の流動性を創出し、町の居住空間と水空間を一体化させて清水を体感できるまちづくりを推進していく。湧水群や、商店街の空き店舗、空地なども水と光と音で演出していく。

さらにはソフト面では、ミネラルウオーターでお風呂に入れる町、名水でつくる料理がうまい町、並びに光と水の幻想的な風景が見れる町など、清水の魅力を多面的に創造していく。

また「市」の復活や、呉服によるミス「清水」コンテストの開催、商店街情報化の推進、並びに共通商品券の発行など、様々な地域資源を活かし、特に冬の幻想的なせせらぎを演出したり、冬の味覚を開発していくなどして冬季観光客を呼べる事業を展開していくとした。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町8)

事業推進で苦労した点及び成功要因

出石町の計画は無理のない実現可能なものであり、まさに「人間サイズのまちづくり」となっている。

中心市街地活性化法に基づく大臣認定などの業務も、全国に先駆けたものであり通産局や県と共に手探りながらもしっかりと進めている。

行政主導型のまちづくりの好例といえ、既存のまちづくりのシナリオもはっきりと描かれている。

行政がリーダーとなって市民や商工会及び観光協会などとも連携をとりながら推進している。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町7)

事業推進体制
(株)出石まちづくり公社は、平成10年6月に第3セクターとして設立された。資本金5000万円のうち出石町が1/2を出資し、残りを出石商工会をはじめ167もの個人・法人が出資して設立した。同社はTMO構想策定後の平成11年5月にTMOに認定されている。町長が社長となり行政主導でまちづくり会社を経営している。従来観光協会が経営していた「いずし観光センター売店」、「そば茶屋(石城閣)」、「喫茶店(てっせん)」、「武家長屋資料館」などの事業を引き継ぎ、社員17人(内パート7人)を抱えているが、初年度の決算は約90万円の黒字と順調な滑り出しとなっている。
TMOが取り組む事業として、1)集合貸店舗の設置、2)空き地、空き店舗、空き家の有効利用、3)交流施設の整備、4)観光PR施設の設置などがあがっている。一方、町は街並み環境整備事業や地域文化財保全事業など、ハード整備が中心となっており、TMOと町が連携して中心市街地活性化を推進する体制となっている。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町6)

計画の特徴

出石町における中心市街地は観光と密接に関係している状況にある。しかし、観光客は大手前地区周辺に集中し他の商店街までは足を運んでいない。そこで、多くの観光客を中心市街地全域の商店街に誘導し、商店街全体に活気を取り戻す施策を進めることとした。観光客を商店街全域に回遊させると同時に近隣市町の大型店に流出していた地元消費者を呼び戻す計画である。そのためには、観光振興をはかる一方で、居住環境の改善や商店街における地元消費者の利便性向上も図らなければならない。日常生活に密着した最寄り品から暮らしを充実させる品まで幅広い買い物ができるような商店街づくりを目指している。商業と観光と農業を連携させた事業の展開によって町全体の活力を向上させようとしているのである。借家希望の多い八木・田結庄・枡形通りなどへ観光客を誘導する仕組みを作り、空き店舗を有効利用することで中心市街地全体に賑わいをつくっていく。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町5)

計画の基本的な方向
出石町振興計画のテーマは「ひとと暮らしがやさしくとけあう伝統と創造の都・いずし」であり、農林業、商工業に観光をも取り入れて産業全体が連携することにより、新たな事業展開を進めるとしている。また、同計画における商業振興の方針として、1)自動車利用に対応する買い物環境の整備、2)城下町の町並みを活かした商店街づくり、3)観光と伝統産業を活かす商業の展開があげられている。
それらを踏まえ、中心市街地活性化基本計画では「商店街を楽しもうー見て・ふれて・楽しい商店街ーをテーマに、市街地全体を楽しい空間として演出することによって商店街の活性化を図ろうとしている。商店街の活性化に加えて観光と農業についても視野に入れた魅力ある商店街づくりを目指しているのである。まち全体を安全で安心して生活できる空間として、豊かな自然や人間関係が息づき、生きる喜びと感動を実現できる「人間サイズのまちづくり」をしていくとしている。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町4)

計画策定のきっかけと経緯

出石町では今までに「内町都市核形成計画」、「旧城下町再生計画」、「HOPE計画」等の事業計画が策定されている。また、昭和62年に兵庫県の都市景観地区の指定を受け、平成元年には建設省の都市景観モデル都市の指定を受けるなど、個人の町屋、店舗等の外観修景等に対する助成事業や町屋デザインマニュアルなどの作成に取り組んできた。これらの取り組みにより観光客が増え中心街に賑わいが戻ってきた。そこで、中心市街地活性化基本計画やTMO構想を策定し、TMOを設立することによって地元住民の利便性向上などをめざし、さらなる活性化を図ることにした。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町3)

経緯と推進母体

既存の調査をもとに基本計画を策定した。基本計画は補助なしで作成した。TMO構想は(株)出石まちづくり公社が325万円をかけて作成した。昭和62年から「街並み環境整備事業」を行い、兵庫県の景観指定地区に指定された。平成5年から兵庫県都市景観形成事業を推進している。また、昭和63年の旧城下町再生計画において回遊を提案している。

コンサルタントとして宮西さん宮脇檀さん、大学の研究室のアドバイスなどを受けている。タウンマネージャーの派遣としては赤松さんに来ていただいている。

「(株)出石まちづくり公社」は1株出資の町民が多い。1株は5万円となっている。資本金は5000万円である。町の広報紙で公募した。一人一株にしないと困る。町は2500万円を出資している。

社長は町長であるが、行政主導のまちづくりである。社員は17人である。観光協会の事業部門の業務を引き継いだこともあり社員は多くなっている。

平成11年に大臣認定書類をつくり、平成11年12月2日付で大臣認定を受けた。平成10年度時点で下地があったことと、空き地がありそれが町有地であったため事業を早く展開することができた。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町2)

中心市街地の概要

現状

出石町の中心市街地は昔ながらの町並みが形成されており、商店街も碁盤の目状に広がる道路に沿って軒を連ねている。年間約100万人の観光客が中心市街地に訪れており、城跡、家老屋敷、振鼓楼などの施設と城下町の町並みを散策している。しかし、その観光客の大半が観光資源が集中する大手前地区周辺に集中しており、八木・田結庄・枡形通りなどの他の商店街までは足を運ばなくなっている。また、近隣市町への大型店の出店や郊外型スーパー等の進出もあり、地元消費者の客足が遠のき、空き地や空き店舗も目立ち始めるようになってきた。さらには、大手前地区以外の商店街にもそば屋やお土産物屋への転業が進み、中心市街地における商店街の構成業種のバランスが崩れ、地元消費者の利便性を損ないつつある。

位置及び区域
出石町の中心市街地は町役場を中心とする約 66haの区域である。 旧城下町地区を中心に、北は県道寺坂柳線、西は出石川右岸、南及び東は有子山の山裾を囲んだ区域で、道路が碁盤の目状に広がり、それぞれの通りに面して一般住宅や商店が集積している。

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中心街活性化事例(兵庫県出石町1)

出石町の概要
出石町は兵庫県の北東部に位置し、東は但東町、西は日高町、南は養父町と和田山町、北は豊岡市と京都府久美浜町にそれぞれ接している。東西11km、南北14.2kmで面積は89.13k㎡である。現在の町の人口は約11,300人となっている。
江戸時代には但馬地域の中心地として栄えた城下町で、町割は当時のままで道路は碁盤の目状に整っている。また、城郭や辰鼓楼、並びに家老屋敷などの歴史的建築物が数多く残ってもいる。明治以降は鉄道から遠ざかったため、但馬地域の中心は豊岡市へと移ったが、そのために城下町としての風情が今に伝わっており、近年は年間100万人が訪れる観光地となっている。また、1706年に城主仙石氏がお国替えの際に連れてきたそば職人によって、在来の「そば」に信州の手法が加わり、伝統的工芸品「出石焼」と組み合わせて、今日の「出石皿そば」が生まれた。この「出石皿そば」は近年、観光資源として注目され、昭和45年には4軒しかなかったそば屋が現在は49軒にもなっている。

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2007年4月27日 (金)

国際街

商店街でも様々な国際貢献がある。

在住外国人のために外国語マップの作成

海外の商品の仕入れと販売

海外の商店街と姉妹商店街になったりと、色々ある。

地方が東京でなく、直接に海外と取引することが増えつつある。

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2007年4月26日 (木)

イベント誘致

最近は、財政が厳しくて難しいのがイベントの誘致である。

東京都台東区の浅草サンバは、本場のリオのカーニバルを呼び国際交流をはかり、「世界で一番暑い場所」をテーマに本場ブラジルチームを誘致している。

また、国内のおもしろいイベントを取り入れるケースもよくある。東京都杉並区の東京阿波踊りなどは、徳島の阿波踊りをとりいれている。

いずれにしても、財政難の中でのイベント開催には地域で支える仕組みづくりが求められている。

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鯉のぼり、絵手紙など

地域住民の家の中に仕舞い込んで眠っているものが地域資源になる場合がある。

例えば、静岡県佐久間町のように眠っている鯉のぼりを大集合させたり、

長野県栄村は「全国ちいちゃなしあわせ絵手紙展」を開いたしている。

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2007年4月25日 (水)

商店街キャラクター

商店街など、地域のキャラクターがある。

街路灯や店舗のシャッターなどに描かれたりしている。

また、商店街キャラクターを活かした商品開発の例もある。

愛知県では商店街世紀越えキャラクター「あしたん」が活躍した。

「あしたん」の煎餅、飴、どらやき、ジャンパー、Tシャツなどの商品が販売され、「あしたん」の着ぐるみまでがつくられ、今でも県全域に「あしたん」が出張した。

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2007年4月24日 (火)

雪など

真夏に雪を運んでくる麻布十番の納涼雪祭りは広く知られている。

また、黒石市の「雪だるま」など地元の雪を活かした演出は観光客を増やしているようである。

雪、氷柱、星、夕日など、自然にちなんだ企画は多い。

どの地域にもある身近な自然も、創意工夫によっては魅せる資源にもなるということだろう。

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2007年4月23日 (月)

技について

本物の技は人を魅了する

例えば、奈良県川上村の林業技術を競う「全日本そまびと選手権大会」などは知られていた。

お蕎麦屋さんの店先で見ることができるそばうちなども魅力的なショーである。

かつて商店街には様々な職人技があった。それが、知らず知らずに一つのショーになっていた。

もちろん、現在でも生き残っている技はある。

畳屋さんの技、お菓子屋さんの技、鍛冶屋さんの技、お豆腐屋さんの技など、隠れた技がある。

もう少し、技が表に出てくると楽しいと思うのだが。

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ご用聞き

生活者はちょっとしたことに困っている。

トイレを貸してあげたり、道案内をしてあげたり、お年寄りの話し相手になったり、子供を買い物の間あずかってあげたりと、生活の不便を解消するためのサービスがあるが、なかなか実行には移せない。

しかし、健康が心配な人のためには薬屋さんが健康コンサルタントになったり、風邪で寝込んでいる人には電話などで注文を受けて家に届けてあげることはできる。

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2007年4月22日 (日)

ギネスに挑戦(川俣町の世界最長の焼き鳥が日高川町に・・ほか)

福島県川俣町は、川俣シャモも産地で、世界最長の焼き鳥に挑戦し、かつて世界一(ギネスもの)になっていた。

しかし、その後、山口県長門市の13・28メートルに記録を抜かれ。

今日(4月22日)には、その長門市も和歌山県日高川町(備長炭の生産量が日本一で焼き鳥にちなむ)に記録を塗り替えられたようである。

新記録は16・46メートル。

調べると、日高川町は2006年8月に11・7メートルで世界一となり、その後、先述の福島県川俣町、その後に山口県長門市が相次いで記録を塗り替えた。

私は、川俣町に関わりがあるので、ぜひともまた返り咲いてほしいと思う。

ギネスものといえば、

このほかにも、石川県能都町の世界一の縄文土器づくりや熊本県中央町の日本一長い石段づくりなど、各地で世界一や日本一に挑戦することが繰り返し行われている。

話題性があり、ニュースになるので、地域から情報発信ができるし、たわいがないが、やっていて楽しいし、目標がはっきりしているために皆で一致団結しやすいのである。

ところで、世界一や日本一には3つの種類があるのをご存じだろうか。

それは、

世界初や日本初(ファーストワン)

世界一や日本一(ナンバーワン)

世界唯一や日本唯一(オンリーワン)

である。

ナンバーワンが難しければ、オンリーワンやファーストワンを目指すのもいい。

特にファーストワンは永遠に世界初であり、ナンバーワンのようにすぐに記録を塗り替えることはない。

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インストア・プロモーション

日本人のほとんどが店頭で購買を決定しているといわれてる。

米国では約3割の客が何を購入するかを事前に決めているが日本では1割にも満たないというデータもある。

売り場の演出、タイムサービス、デモンストレーション、店内放送などのインストア・プロモーションはとても大切だ。

そして、これからはイン商店街・プロモーションも大切。

商店街をイルミネーションで飾ることや共同セールを展開することなどに加えて、お互いのお店も紹介しあったらどうだろうか。

ぶらりと訪れた人たちが探している「何か」を提供できたら。

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既存の顧客

新規顧客の獲得より既存の顧客の維持、一度きりの刹那的な取引ではなくて生涯を通じた継続的な取引の重視、そして、不特定多数の売り上げシェアではなくて一人の顧客シェアの拡大が大切になってきた。

つまりは、お客様を一生の友として大切にお付き合いするということである。

商店街でも買えば買うほど得をするFSP(フリークエント・ショッパーズ・プログラム)の導入などによって顧客の取り込みが始まっている。

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2007年4月21日 (土)

テーマは時間

中心街や商店街が様々なテーマで活性化を図っている。

そのテーマの一つに時間がある。明治時代をテーマにしたり、大正ロマンをテーマにしたり、昭和をテーマにしたりと様々だ。

豊後高田市など、全国的に知られて事例もあるが、

郷土史や昔の写真などをじっくりと観察して、まずはその地域や商店街の歴史を振り返ってみると忘れられたお宝が見つかることがある。

そこには知らず知らずのうちに忘れ去り、捨てさってしまったものがある。